東浩紀・笠井潔『動物化する世界の中で』 

動物化する世界の中で―全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評 動物化する世界の中で―全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評
東 浩紀、笠井 潔 他 (2003/04)
集英社
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中盤から、東浩紀笠井潔にキレにキレまくる。
最後にはお互い、これは独り言だからね。
とかいいながら、手紙を送りあう。
変な対話集。

こんなしょうもない本を出すなよ、など。
破綻していると評する人も多いよう。

でも、読者の気持ちを煽るという点では、それなりに成功しているのかもしれない。
 

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『グーグル100%利用術』 

グーグル100%利用術 グーグル100%利用術
朝日新聞社 (2006/07)
朝日新聞社
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いろいろなググり方が紹介してある。
手のひらサイズで、コンパクトな本。
お手軽に読める。
 

Webにおける読書メモの違法性 

インターネット完全活用編―大学生のためのレポート・論文術 インターネット完全活用編―大学生のためのレポート・論文術
小笠原 喜康 (2003/08)
講談社
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この記事では、第一に、レポート・論文における適法引用の必要性について考える。
第二に、Webにおける書籍・論文に関するメモ・ノートの類の掲載は違法といえるのか、検討する。

 
一、レポート・論文とは何か

論説文や随筆文は、以下の二つの部分からなると見なせる。

1 事実
2 筆者の意見

事実と、筆者の意見。
これら二つである。
先行研究や書籍から、論者が読みとった「事実」に関する記述は、レポート・論文には必ず含まれる。
客観的事実は論における肉となる。

そして、論者の、他と異なる固有の意見というものもまた、論文には必ず含まれる。
筆者の意見は論における骨格となる。
ある論は、その論のみが持つ、その論独自の個別的な性質がなければならない。
でなければ、その論は、論足りえない。
別のものと代えの効かないことが、ある論文をある論文足らしめる条件である。

ある「主張」を行なうために、客観的事実を収集する。
事実を編集する。
自己の意見に合う形へと、客観的事実を再編成する。
自己の意見を添えて、一つの論説文として完成させる。
これが、大学で扱われるレポート・論文の基本的な作成法であろう。

高校生までの教育が要求することと、大学以降の課程で必要となる能力は異なる。
ある質問に対する回答を暗記しているか。
ある質問に対する回答を探し出せるか。
それが、高校までの教育で、学ぶべきことだといえるだろう。
高校までの教育では、A=Aという事実の暗記を、集積させていくことが中心となる。

しかし、大学以降の教育課程では、自己の意見の主張や、自分で作った問いに対し、自分で回答する能力が必要になる。
これを実践するのがレポート・論文である。

レポート・論文における肉とは、「事実」である。
そのため、部分部分で「引用」が必須となる。
「引用」の行ない方には注意すべき点がある。
レポート・論文で、ある引用を行なったとする。
その引用に対して、論者が解説を行なわないことは、ルール違反になる。
引用は、論全体の主張のなかで、確実に必要なときに、最小限の範囲で行なわなければならない。
引用文を吟味し、自己の意見へと沿わせ、論全体の中へと組み込んでいくこと。
この作業が丁寧に行なえているかは、レポート・論文のできを左右する。
そう考えれば、「適法引用」とは、よい論文を作るために踏まえるべき手続きを指した言葉だと考えられる。

「適法引用」を適宜行ないつつ、ある事柄にまつわる事実を収集・編集し、自説を展開する。
人文社会科学の基本的なレポート・論文の作成術である。

そして、同様の手続きは、書籍の刊行の過程でも言えそうである。
「適法引用」をきちんと行なえていない書籍が刊行されてはならない。

二、Webにおける書籍・論文に関するメモ・ノートの類の掲載は違法といえるのか

「適法引用」に関する過去の判例から、次のような条項がいえる。

質的にも量的にも、引用先が主、引用部分が従でなければならない。

Webで、この条項を守らない文章には、違法性があるとみなせるようだ。
しかし、わたしはこの考えに反論する。

もしも、引用においては、質的にも量的にも、引用先が主、引用部分が従でなければならないとしたら、Webへの、読書メモ・読書ノートの類の掲載は、違法ということになる。

著作権法は、著作権者の権利を守るためにある。
書籍の刊行においては、もちろん「適法引用」が守られるべきだ。
「適法引用」がなされず書籍が出版され、その著作権者がお金を稼いでいたら、それは確かに犯罪であろう。
明確に、引用部分のもととなった著作物を書いた、著作者の権利を侵害しているからだ。

しかし、ある著作物に対するメモ・ノートの類をWebにアップすることは、その著作物を書いた著作者の利益を損なっているといえるのか。
その著作物への注意を喚起し、公衆への購買欲を喚起することはありうるだろう。
つまり、むしろ、著作権者の利益になりそうではないか。
その著作物に関するメモ・ノートがWebにアップされることで、著作権者は、本当に不利益をこうむりうるのか。

また、大学でのゼミ発表におけるレジメとは、先行する書籍・論文のメモ・ノートを集積したものであるのが普通だ。
「自己の意見」を固めていくための基礎資料である。
書籍・先行論文に掲載された事実をストックするものとして、メモ・ノートの類が重要になる。
それらがレジメにおける肉となる。
そこで、「適法引用」における次の条項。

質的にも量的にも、引用先が主、引用部分が従でなければならない。

この判例を遵守するなら、ゼミでの、さらには、学会における発表のレジメにすら、違法性が生じるものはあるはずだ。
「量的」という部分においてである。
参考資料の方が本文より長いレジメというは、一般にみかける。

もちろん、大学や学会での、「適法引用」に疑念があるから、「適法引用」は無視していい、と述べているわけではない。
ただ、「質的にも量的にも、引用先が主、引用部分が従」ということは、もともと、そのようなものでなければ、著作物として認められず、刊行されるべきでないからだ、ということを忘却してはならないだろう。

そして、本や論文というのは、一方向的なものであり、静的なものでもある。
一方、Web空間とは、双方向的なものであり、「過程」に存する動的なものである。
たとえば、次のような文章がWebにあったら、これは適法引用であろうか。
それとも違法な引用であろうか。


「○○○○」は『○○○○○』(○○○○年、○○○○社)で次のように述べている。
「○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○」
これはどういう意味でしょうか?


このような問いかけの文はどうなのか。
大部分が引用のみで形成され、「筆者の意見」付されておらず、疑問の提示に留まる。
違法なのだろうか。

Web空間とは、双方向的なものであり、動的なものである。
出版された静的な書籍とは異なり、このような問いかけの文章は、Web上に存在しても良いはずだ。
さらに、そのようなものの延長として、書籍・論文に関するメモ・ノートの類を位置づけることはできないだろうか。

参考文献
小笠原喜康『インターネット完全活用編―大学生のためのレポート・論文術』(2003/08、講談社) 

Web上でのレジメの検討は可能か 

「どこまでOK?」迷ったときのネット著作権ハンドブック 「どこまでOK?」迷ったときのネット著作権ハンドブック
中村 俊介 (2006/01/14)
翔泳社
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以前、某大学で、「日本文学研究会」というサークルを運営していた。
読書会の実施と、同人誌の発行がサークル活動の核をなす。
サークル運営は面白かった。
皆で、創作や批評の文章を書き、感想を述べあうこと。
ある図書に対して、皆で検討を行なうこと。
やりがいがあるし、勉強になる。

Web空間を使って、同じことを、より大きな規模でやれればいいなというのが、「Web文芸誌制作フォーラム」と「「必読書150」研究」の基本コンセプトである。

それで疑問点がある。

第一に、Web上で、課題図書に対するレジメを発表したい。
レジメに対する意見交換を行ないたい。
それは、著作権法上可能なのか。
第二に、Web上に、ある書籍の内容についてのメモ・ノートの類を、アップすることは可能なのか。
 

Web上への要約文掲載には違法性があるのか 

学術論文のための著作権Q&A―著作権法に則った「論文作法」 学術論文のための著作権Q&A―著作権法に則った「論文作法」
宮田 昇 (2005/08)
東海大学出版会
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学術書を要約した文章がWebへとアップされているのは、しばしば見かける。
適当な書名を入れて検索をかけてみれば、様々な書籍に関するもので、散見できる。

要約は国語の勉強の基本であろう。
小中高大どこででも、要約がきちっとできるか否かは、基礎的能力であろう。
何かの作品をゼミや研究会で取り上げたとき、要約ないし、要約的なものは、多く、必要となる。
ただ、この件について、著作権法との絡みで、気になるところがある。
 

「「必読書150」研究」 

Web文芸誌制作フォーラム」をどんなふうに運営していくべきか。
おおよそ、ぼくの中で固まってきた。
 
 

大泉芽衣子『夜明けの音が聞こえる』 

夜明けの音が聞こえる 夜明けの音が聞こえる
大泉 芽衣子 (2001/12)
集英社
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マタギに憧れる。
東北の山の中で、狩猟生活をする。
何ヶ月も人に会わない。
食うもの、寝るところを自力で確保し、寒さや闇と戦う。
修験者みたいで、魅力的だ。

「喋る」ということは、楽しいことだろうか。
それとも、面倒くさいことだろうか。
 

ルソー『社会契約論』を読む会 

人間不平等起原論・社会契約論 人間不平等起原論・社会契約論
ルソー (2005/06)
中央公論新社
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ルソーの『社会契約論』を課題図書とした読書会を行います
開催日時は7月22日(日)の13:30~16:40です
場所は法政大学市ヶ谷校舎、大学院棟603教室です
どなたもお気軽にご参加ください
 

アガンベン『開かれ―人間と動物』 

開かれ―人間と動物 開かれ―人間と動物
ジョルジョ アガンベン (2004/07)
平凡社
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二十一世紀の世界は、アメリカ風になるか、日本風になるか、どちらかなのだという説を、どこかで聞いた。
アメリカ的な動物化か。
あるいは日本化か。
つまり、形式的な価値に基づく、スノビズムの美の世界か。

その説がどういうものなのかは良く知らない。
テキトーに考察する。

市野川容孝『社会』 

社会 社会
市野川 容孝 (2006/10)
岩波書店
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「社会」という言葉を聞いて、想起するものってなんだろう。
たとえば学校の科目。
国語算数理科社会の社会。

ぼくはあんまり好きな科目じゃなかった。
暗記ばっかりさせられて。
いろいろなことを知れるのは、ちょっと面白いけれども。
機械的に情報を覚えることに何の意味があるのか、いまいち分からなかった。

社会という言葉。
マニアックなところでは。
社会主義の社会。
そして、「社会党」の「社会」なんてものもある。

「社会党」って一体なんだったのでしょう?


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