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精神分析への抵抗 

泉の側で読書。
フロイト『自我論集』。
強い感銘を受け、なかなか先へと進まない。
疲れる。
一文読んでは水面を眺め、一文読んでは水面を眺め。
元気が出ない。
ぼんやりする。
元気出せ出せ柿の種。
出さねばその芽をちょんぎるぞ。
ぽちゃん。
あ、本を泉に落としちゃった。
ま、いいや、どうでも。
(間)
するとそのとき、泉の奥底から怪しげな光が。
なんだアレは・・・・・?
(女神様がゴゴゴゴゴと浮き上がってくる)
なんて麗しいお姿だ・・・・・・。
女神様がその花のような唇を開く。
「あなたがここに投げ込んだのは、楽しい話ですか。苦しい話ですか。エグイ話ですか」
分からないや。
ぼくが語るべきは、どんな話なのだろう。
「女神様。ぼくの方こそお伺いします。あなたはどんな話がお気に召すのですか」
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仲正昌樹 『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』  

集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス)集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス)
(2006/11)
仲正 昌樹

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Amazon.co.jp ランキング: 本で8,711位

この人、ずいぶん、本を出しまくっている
売れているようですね
仲正の勤める金沢大学には新左翼系の学生がいるらしいが、そういった運動家たちへの意識があるのでしょうか
元統一教会員で童貞だとか(2ちゃんねる情報)
統一教会と新左翼って、いる人の層が似ていて、ライバル風なイメージがあるな……
エキセントリックでファナティック、勢いがある罵倒系の批評
あらっぽい
哲学に詳しいのか疑わしい
いきなりマルクス主義の解説から入るところがかなりどぎつい

○二項対立
マルクス主義は「二項対立」にとらわれていた
構造主義・ポスト構造主義は二項対立とは異なった思考の枠組みを目指した、と述べている
半分くらいは分かるけれども、厳密にはよく分からない
「二項」の問題を俎上に載せるなら、面倒な手続きがいりそう
ヘーゲルへの言及は必要ないのか
政治思想史には詳しそうだが、哲学についての勉強は甘そう
広く浅く

○日本の戦後マルクス主義
イタリア共産党書記長トリアッティの構造改革路線の原点はグラムシのヘゲモニー論にあり、「市民社会」内部で知的ヘゲモニーを獲得し、革命への足がかりを作る戦略論としての「陣地戦」があり、「有機的知識人」が中心となり市民間で、漸進的に合意を形成していこうとするものである
しかし、新左翼はこのような共産党、社会党協会派のヘゲモニー論を「市民派」とみなし、「反革命」と規定した

○参考資料
・革共同には本書では触れず
・和辻哲郎『国民統合の象徴』
・丸山眞男
・吉本隆明『擬制の終焉』『自立の思想的拠点』『抒情の論理』『ハイ・イメージ論』
・廣松渉『世界の共同主観的存在構造』『事的世界観への前哨』『存在と意味』
疎外……人間の類的本質は「労働」であるが、労働生産物としての商品が労働者に対して疎遠なもの、他人のものとして現れてくること
物象化……物としての商品自体に交換価値が実態的な属性として含まれているわけではないのにも関わらず、交換価値を物としての商品の属性と取り違え、物が人間を支配しているかのように見えてくること
廣松は〈主体/客体〉という二項のうち片方を本質視して他方を派生物とみなす実体論的な議論の欠陥を認知し、関係論的な見方を提示……(?)

・ベンヤミン『パサージュ論』
・ボードリヤール『物の体系』『記号の経済学批判』『生産の鏡』『象徴交換と死』
・田中康夫『なんとなく、クリスタル』
・サルトルの実存主義的マルクス主義
・レヴィ=ストロース、フーコー『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『精神疾患と心理学』
・デリダ、ドゥルーズ、ガタリ、クリスティヴァについて
・栗本慎一郎『幻想としての経済』『パンツをはいたサル』
・西部邁『大衆への反逆』『生まじめな戯れ』
・浅田彰、柄谷行人
・ニューアカの作法とは、〈アカデミックな叙述/非アカデミックな叙述〉の融合である
・山口昌男『文化と両義性』『知の遠近法』
・大澤真幸『行為の代数学』『資本主義のパラドックス』
・『現代思想』『前夜』『at』『世界』『論座』
・現代思想とは、疎外論的な「新左翼」をさらに先鋭化した「新・新左翼」のことだった(……?)
・宮台真司『亜細亜主義の顛末に学べ』
・高橋哲哉、姜尚中は水戸黄門

仲正昌樹『現代思想入門 グローバル時代の「思想地図」はこうなっている!』『「自由」は定義できるか』

東浩紀、北田暁大『東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム』 

東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム
(2007/01)
東 浩紀、北田 暁大 他

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東 浩紀、北田 暁大『東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム』

Amazon.co.jp ランキング: 本で29,615位

とりあえず、各方面の街を歩き、その印象を話し合ってみました、というグダグダな企画東浩紀の論を中心に、本書の主張をみておく

一つには生命工学の観点から、一つには資本の運動から、郊外の風景は均一化していく
コンビニ、ファミレス、百円均一ショップといった文化資本の再配分装置が台頭する
その一方、一部の街は「差異」というものを売りにし、人を集めるための記号空間としての「テーマパーク」として商業化される
この二つの場から東京はなる
人々は、ファスト風土的・ジャスコ的な均質空間で、動物化された生を送る
たとえ経済的格差があったとしても、たとえニートであったとしても、結局はみな同じような「街」のなかで生きていくことになる
身体の領域が、環境管理型の権力により支配されていく
工学的管理の圏域としての住空間で、人の選択できるオリジナリティは減少する
動物性が、都市デザインと社会システムの根幹を決定している
ポストモダン社会の倫理においては、人間的多様性の圏域は、それとは別の場所に確保される
たとえば、Webの世界で、ヴァーチャルなキャラクターとしての個性を確保する、ということになる

『自由を考える―9・11以降の現代思想』(2003)では、フーコーの生権力が話題になっていた
それは批判すべきものとして語られていた
その議論の延長上で、『東京から考える』(2007)という書もなりたっている
ポストモダンにおける生権力が、具体的レベルにおいて、どんなふうに都市を変えていっているのかという話だ
でも、『自由を考える』とは異なり、『東京から考える』ではフーコーやアガンベンへの言及はまったくなされていない
バリアフリーやセキュリティといったことへの工学的な取り組みと、「安全」と抱き合わせになった「管理」というものへの評価が、必ずしも否定されていない
子を持つ父が、子育てするのに適した、安全な街を探すというのが、裏の主題にある
人間の「動物化」を肯定する東の発言もみえる
動物には、共感可能性がある、とのこと

『自由を考える』(Amazon.co.jp ランキング: 本で78,122位)より『東京から考える』(29,615位)の方が売れているのはやや意外
哲学的で観念的な考察に満ちた前者より、私的な体験に照らし合わせつつ街並みについての考察へと取り組む後者の方が、一般読者にはわかりやすかったのか

データを示して語ることがなく、統計的でなく、感想文っぽい
趣味的な話や、東京人でないと分からない物件への言及が多い
東京人でも、興味を持てるかギリギリなラインだろう
二人とも、さすがにいろんなことを知っているなと思うけれども

下北沢再開発について、否定はしない東と、問題視する北田
これらの点では二人の意見が分かれる
また、男性と女性というものは、明瞭に二分されるものなのか
生物学的性差は脱構築が可能なのか、脱構築不可能な外部なのか
生物学的なものが社会全体の設計を制約する、と
東は性差を脱構築不可能な外部、リベラリズムの外部と述べるが、この点も論議を呼ぶところだろう

○チェック
稲葉振一郎
渋谷望
ローティ『哲学の脱構築』
ロールズ
ソーカル『知の欺瞞』

東浩紀、大澤真幸『自由を考える―9・11以降の現代思想』 

自由を考える―9・11以降の現代思想 (NHKブックス)自由を考える―9・11以降の現代思想 (NHKブックス)
(2003/05/01)
東 浩紀、大澤 真幸 他

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Amazon.co.jp ランキング: 本で78,122位

○東の「確率」
『存在論的郵便論的』のキーワードは「確率」である
「確率」は「否定神学」に対抗するものとして登場している
九鬼周造に『偶然性の問題』という本があった
アリストテレスの『自然学』などに言及しつつ、「偶然」の種類について分析する
どうも、マルクス主義における「必然性」「必然の王国」に対して、「偶然性」を考察し、アンチテーゼとしているのではないかと想像された
東が「確率」というとき、試みとしては九鬼と近い立場にいそうである
中身が似ているかどうかは知らぬが

実存的主体に対抗する概念としての、「確率」
・「偶然的な「私」、いつ他者になってしまうかもしれない存在としての「私」です。私を「私」にする主体的な刻印、ラカン風に言えば「トレ・ユネール(一なる刻印)」が刻まれた「私」だけではなく、その裏側に、いつもつねにすでに誰かと交換可能になっているような存在、弱い受動的な「私」がある。ぼくはこれを確率的な状態と呼んでいる。そしてそれこそが、僕の考えでは、デリダがあえて単独性と固有性を分けるとき、固有性に対立するものとしての単独性として考えていたものなのです」

☆東・大澤による歴史観
○前近代
死を支配する権力

○近代―規律訓練型権力
神がいなくなり、管理のネットワークの時代に代わる
生を支配する権力
内面的な法の形成、学校教育、人間の主体化、生権力

○ポストモダン―環境管理型権力
ネットワーク、ユビキタス・コンピューティング、マクドナルドで、硬い椅子を設置することにより客を追い払う例、遺伝子診断、自動改札機(疑問符がつく)、テロをする自由(疑問符がつく)、プロファイリング、アマゾンの図書推薦システム
多様な価値観を共存させるが、家畜の管理に似る
制御性に覆われた世界に出来事性をいかに導入するか

○東の「動物化」
「超越論的な欲望の次元が消え失せ、欲求―満足の経験論的回路に閉じこもること」

○アレント
アレント『人間の条件』における「アクション」の領域、人間性の領域が、動物性の領域に飲み込まれてしまったのが、ポストモダン社会らしい

→アレントは、
1労働
2仕事
3活動
という風に人間の行為を三つに分け、1より2、2より3が人間的に素晴らしい行為だと論じている
1より2、2より3が、「言語」と深くかかわる、と大澤は述べ、同一の要素はハイデガーの思想にもあるとし、対照させている
1より2、2より3が素晴らしい
という前提に、私としては疑いを持つ
『人間の条件』の後書きで、アレントは、炊事が嫌で、そういった労働をしているときに思いついたのだ、などと言っていた
それでいいのかな……

○大澤の確定記述
「たとえば誰かを愛するというときに、彼女は身長が高いから低いから、顔がかわいいから、性格がかわいいからという理由で愛するとすると、これは、彼女の属性、哲学の言葉で言えば「確定記述」を根拠に愛するということです。「相手が……の属性をもっているから」愛するという」ことであり、「「固有名」で愛することとは違う」
固有名の本性は、長い間記述説が有効であった
固有名は、データベース的な記述の束に還元できる、と
これに対し、クリプキは可能世界を想定することで反駁した
固有名には、記述に還元できない余剰――訂正可能性という余剰――がある、と
・固有性(自分でしかありえない私)と偶有性(他者であったかもしれない私)

○「第三者の審級」は弱体化した(→?)
ほんとかあ?

○チェック
ボードリヤール
ドゥルーズ『記号と事件』
ジョージ・リッツァ『マクドナルド化する社会』
フーコー『監獄の誕生』、『性の歴史』
ローレンス・レッシング『CODE』
アガンベン『アウシュビッツの残りもの』、『ホモ・サケル』
カントローヴィチ『王の二つの身体』
加藤典洋『ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ』
柄谷行人『探究』
クリプキ『名指しと必然性』

北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』 

嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)
(2005/02)
北田 暁大

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Amazon.co.jp ランキング: 本で105,373位

アマゾンレヴュー、2ちゃんねるでボロクソに言われている
70年代から2000年までを、サブカル中心に扱いメディア論を展開
10年につき数個の対象を取り上げ、自分の思想に合うようにツギハギ
ある種の私小説?(2ちゃんねるより)
とはいえ、そこらへんにある文芸評論よりマシなのかな
人々は「ゾンビ化」している、と(すがさんのパクリですね)
北田の論、マルクス主義的な回路で、「ゾンビ化」から抜け出せる方策を提示してくれるのならすごいと思うのだが
さすがに無理か
結果として、リベラリストが、共同体主義をなげくお話になっていそうだ
〈真の人間/ゾンビ〉
〈真の人間/動物〉
こういう二項的な問題設定は、批評の王道
現代の人間は、「真の人間」でない、こんなふうにダメなのだ、とやっていくわけ
〈声/文字〉という対立があり、「文字」の側に属する学者が、「声」の側に属する社会状況を批判することで優位を感じる、という構造があるのじゃないかと疑う

たとえば、〈真の人間(自然)/現代の人間〉という二項対立で社会批判を行うのがルソーの『人間不平等起源論』のやり方であった

まとめ方、編集がうまい
マルクス主義にちょっと憧れがありつつ、諦めて、物分かりの良いリベラリストになっちゃった、みたいな人
ナショナリズムを憂えてみせている
しかし、本書のナショナリズム批判は表立ったものでなく、普通の読者が読んでも、ナショナリズムが批判されていることにほとんど気づけない
そういった意味では、タイトルと内容に齟齬がある失敗作
中途半端
文体が紳士的
論じるのに使いやすい概念をたくさんちりばめていて、おしゃれな感じ
東浩紀・桜坂洋の『キャラクターズ』では、ラストで朝日新聞社を燃やし、北田暁大と香山リカが死に、ひろゆきを殺しに行く、という終わり方
この筋は、『嗤う日本の「ナショナリズム」』とも対応しているみたい
朝日をからかうことは、2チャンネル的共同体にとって必要なんだ、みたいな話がある
それゆえ、『嗤う日本の「ナショナリズム」』の観点からみれば、『キャラクターズ』は共同体批判の書として受け止めることもできそうだ

文芸評論は消滅するのか 

「新潮」が新潮新人賞の評論部門を今回から廃止した

[規定変更]今回より選考委員を変更し、評論部門を廃止いたします。



なので、評論が投稿可能な新人賞を持つ商業誌は「群像」のみとなったらしい

今、群像の新人賞評論部門の作品も、あれこれ読んでみている
これ、ほんとに面白いの?と疑問を感じる

同人誌系では

早稲田文学


三田文学


江古田文学


が文芸評論も受け付ける有名所とのこと(木棚環樹さんのブログで知った)

文芸評論が、商業的にみて商品価値のない時代になっているのでしょう
思想的に深い文芸評論は、(ものによっては)相当面白いとおもうのだけれど、この価値の下落は何でなのでしょう……
調べていくと、いろいろな背景があるのでしょうね
少なくとも、日本文学科の近現代専攻って、社会的にみて存在価値が薄いのだなと、考えさせられる

もっとも、小中の義務教育で「国語」という科目がある限り、日文科は、大学からなくせないのかな……?
いや、教育学科で「国語」の研究をすればいいのか
石原千秋みたいに
じゃあ、日文科近現代はやはりいらないのかな……

「群像 2007年 05月号」埴谷雄高『死霊』特集 

群像 2007年 05月号 [雑誌]群像 2007年 05月号 [雑誌]
(2007/04/07)
不明

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○群像 特集 没後十年・あらためて埴谷雄高『死霊』を読み直す

・奥泉光、佐藤亜紀「対談 『死霊』は大いなる序章だった」  
『死霊』自体も埴谷の作品もまったく読みこんでいない二人による対談
テキトーさがひどい
埴谷信者を相対化し、牽制している
初心者向けに『死霊』を紹介するための企画だろう
狂言回し
佐藤亜紀って、何なんですか……

東浩紀・桜坂洋『キャラクターズ』 

新潮 2007年 10月号 [雑誌]新潮 2007年 10月号 [雑誌]
(2007/09/07)
不明

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東浩紀・桜坂洋『キャラクターズ』の諸論点

○「私小説」観の問題
東浩紀・桜坂洋による小説、『キャラクターズ』では「私小説」「自然主義文学」という言葉が登場し、非難すべき対象として挙げられている
疑惑としてあるのは、東浩紀・桜坂洋の「私小説」「自然主義文学」概念がテキトーであることだ
私小説を論じたものは、日本文学史にたくさんある
・小林秀雄
・横光利一
・中村光夫、伊藤聖
・近代文学派
・柄谷行人
等々
しかし、それらを踏まえているのか疑わしい
柄谷行人のものには言及があるが、それも、ちゃんと読解できているのか疑問符がつく


『ハイデガー (知の攻略思想読本)』 

ハイデガー (知の攻略思想読本)ハイデガー (知の攻略思想読本)
(2001/07)
木田 元

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Amazon.co.jp ランキング: 本で617,903位

○作品社「知の攻略」シリーズの一冊
造本が嫌いっす……
一ページが妙に厚く、片手できちんと開かない

ハイデガー入門として、この本はいいのですか……?
初心者向き、非常に簡単
ハイデガーが登場した時代に、日本でどう読まれたか、その雰囲気を伝える
多くのヨーロッパの思想家と、ハイデガーを対照させる
執筆者一人あたりの受け持ちページ数がとても少ない
広く浅く(浅すぎだろ)
まあ、知っとかなきゃやばいことも知れたので、よかったかな

○チェック
・キルケゴールを存在論化したものが『存在と時間』

「人間は、声に呼びかけられて主体となるのか、それとも文字で書かれて主体となるのか、ハイデガーとデリダの思想の差異はそこに要約されると言っても過言ではない」(東浩紀)

p.155 「ニーチェは、「同じものの永遠回帰」という概念によってキリスト教的創造説から脱して、ギリシャ的自然への帰還を企てるのだが、ハイデガーはニーチェ思想のこうした側面を顧みない」

p.162 平田裕之、サルトル『実存主義は一つのヒューマニズムか』
「この講演でサルトルは、実存主義者をキリスト教的実存主義者と無神論的実存主義者とに分け、後者に自分とともにハイデガーを数え入れた。しかし、ハイデガーにとって『存在と時間』の主題はあくまでも「存在の問い」にあり、現存在の実存論的分析論はそのための方法的通略でしかなかった。しかも、レーヴィットが的確に評したように、「存在の問い」には「神なき神学」とでも言うべき側面があり、ニーチェ(ないしはヘルダーリン)以後の神なき時代に「最後の神」の到来の準備をするという秘められた意図もあった。」

p.166 小須田健
「個々の存在者を存在者たらしめる存在は、存在者のようには存在しない。いわば存在がおのれを与えることで存在者は可能になる。」

スタイナー『マルティン・ハイデガー』
三木清『パスカル・親鸞』
九鬼周造「人間と実存」(『全集第三巻』)

綿矢りさ『夢を与える』 

夢を与える夢を与える
(2007/02/08)
綿矢 りさ

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Amazon.co.jp ランキング: 本で19,547位

○良い。よく描かれているポイント
・虚構を作ろう小説を書こう、プロットを練ろうという意図は前作より強くなっている
・三人称で書いている。技術力の向上。そこらへんの作家志望者よりうまい
・母における愛のトラブルと、主人公における愛のトラブルの二重性が、重なり合っている
・芸能界を舞台に、周囲におだてられてえた栄光と、それを失うことの恐怖
・そこそこ取材、情報収集している
・大人に踊らされ、翻弄される主人公の悲哀
・芸能界に憧れる、教育ママの愚かさ
・「社会的価値」とは何かという問い
・「夢を与える」というタイトルは、美しく愛らしい清純派アイドルたる主人公が、「私は夢を与える仕事をしたい」と述べることによる。主人公は「夢を与える」ことに失敗し、壊してしまう。日本における「夢」の不在を指摘し、欺瞞を暴いている
・芸能界への、文学の側からの皮肉

○悪いポイント
・ようは、「セックスしましたよ報告」でしょう(「2ちゃんねる」より)
・セックスをやっているのは、一人だけ。よい子ちゃんじゃん
・主人公と恋人のハメ撮り流出とのこと。とはいえ、その描写にリアリティなし
・恋人がどんな人物か分からないため、主人公が間抜けに見える
・登場人物に魅力なし
・ハメ撮り流出後の、芸能レポーターによる主人公への視点が甘い。もっと馬鹿にして欲しい
・前作からそうだが、やはり世界観が狭くはないか
・歪んでいる。そこを文学と見るか。しかし、歪みが足りない
・あんまり、本を読んでいなくね……?

○総評
たぶん、主人公にとっては、「破綻」を選ぶことにこそ「自己」の構築があったのだろう
しかし、もっと強烈な「破綻」はないものか
この程度の上品さに抑えておくものなのか
プロフィール

松平耕一

Author:松平耕一
○twitter登録名:matudaira
○ツイッターまとめ:http://twilog.org/matudaira
○Facebook登録名:松平耕一

☆文芸空間社企画
◎批評放送
・批評放送は松平のプロデュースする動画配信企画です。ツイキャス http://twitcasting.tv/matudaira 、youtubeなどで配信されます
批評放送@USTREAM

○松平耕一・文芸空間社・批評放送へのカンパ振り込み先は
・三菱東京UFJ銀行の吉祥寺支店普通口座1896022 マツダイラ コウイチ 宛になります

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