すが秀実、花咲 政之輔 他『ネオリベ化する公共圏』 

ネオリベ化する公共圏―壊滅する大学・市民社会からの自律ネオリベ化する公共圏―壊滅する大学・市民社会からの自律
(2006/04)
すが 秀実、花咲 政之輔 他

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早稲田の学生運動は、今まさに、当局の手によって潰されようとしている
学生運動なき大学は、大学といえるのか
けしからん
もはや大学は終わりなんじゃないのか
学生運動あってこその市民社会ではないのか
という書物

このテーマで本が出せちゃう人って、日本ではもうすがさんだけなんじゃないかしら
他にもいるのでしょうか
よく知りませんけれども
何部くらい売れたのでしょう

ぼくは、子供のころから左翼の問題に興味があった
左翼運動に関心があり、周囲をうろちょろしていた
左翼と右翼
善と悪についてぼんやりと考えたり観察したりしていた

大学時代は、法政の学生会館の問題に少々コミットした
そのとき、すがさんのことを知って
未だに学生運動について、真剣に取り組んでいらっしゃる知識人がいるのだな
すげえな
と思っていたのだけれども

共産党のおじさんとか
中核派のおじさんとか
ぼくには、どうにも人間的魅力を感じなかった
世界の平和を叫ぶ
「善」と正義を探究し、その道へと邁進することは分かる
しかし、美的感受性が欠落しているように見えた
論理的真への考察も甘いし

法政の学生会館が潰れるころの運動の内実は、「悲惨」の一言であった
他に言うべき言葉をもたない

企業に対する労働運動は必要だろう
NOといえる労働者となること
それがなければ、「人間」であることを「人間」は忘れてしまう

国家に対する運動も必要だろう
よりよい社会を作るため
見落とされていることの全体を改良していくための運動も、なくてはならないだろう

現在の学生運動の歴史的な位置を知れる点で、本書は大変参考になる

ただ、当局による自治会解体が嘆かれているけれども
学生の側の問題も大きいことが、取り上げられていない
法政の自治会なんか、ひどいありさまだったし
現在の社会は、学生運動を盛り上げていく空気じゃない
それはどうしてなのか

共産党、中核派、革マル派なりとセットでしか、学生運動が行われえないのか
怪しいおじさんに「はいはい」従うしかないのか
そのとき、「私」にとって「私」とは何なのか
クリアしなきゃいけない問題は、そこらあたりにある気がする
美的じゃないと、誰もついて来ないわけで
「美」こそが人を狂わす、魔
人は「美」のために喜んで搾取される

○内容
具体的な話から抽象的な議論まで
よくこれだけ多彩な論を集めるな
すごいお手並みですね

○すがんさん
・学生自治会は、大学という市民社会のなかの有機的な構成要素の一分枝として、市民的権利をめぐる闘争を遂行していた
・戦後日本の自治会運動と組合運動は並行的に捉えられるべきである
・資本主義との相互補完的な市民的闘争(規律/訓練)を通じてのみ、良き市民が生み出される
・大学は市民社会のなかに正当に位置づけられていた公共空間であった
・大学は、60年代に、良き労働者・市民へと規律・訓練する「就職予備校」としての役割を放棄しはじめた
・現在の大学の問題は、大学が「学問の府」から「就職予備校」になったことにはない。「就職予備校」でさえなくなったところにある
・大学=市民社会における自治性の崩壊=ネオリベ化
・自治性の復権=リベラリズム
・しかし、大学の教員には、市場原理の貫徹がきちんとなされていない
・昔は、学生サークルに担われていた課題が、アカデミズムのカリキュラムに吸収された=フェミニズム、ポストコロニアリズム、現代思想、文学、クリエイティヴライティング、音楽、美術、演劇、サブカルチャー、広告、イヴェントのマネージメント、IT技術

○池田雄一
・デリダの脱構築は、カントのアンチノミー
・PC派の問題。「資本主義についてか、性差のついてか、国家についてか。どのトピックがヘゲモニーをにぎるかについて、まさにホッブス的な闘争状態が展開される」

○マイケル・ハート
・現代社会はポスト市民社会
・ホッブスからルソーまで=自然状態/市民社会の二分法
・ヘーゲル=自然状態→(教育)→市民社会/政治社会(国家)
具体的労働から抽象的労働へのプロセスは、個別なものが、否定あるいは自己棄却によって普遍へと変容される教育的プロセスである
労働組合もその他の市民社会の制度も、市民を教育し、国家と調和する普遍的欲望をつくりだすものである
国家は結果ではなく、始まりである
・グラムシ=市民社会の社会的弁証法を、より民主主義的な形で提示した
市民社会と政治社会の優先順位を逆転させた
・フーコー=市民社会と政治社会の分析的区分は不可能とした
権力に外部は存在しない
権力は、社会領域の諸要素の調整や秩序立てによってのみではなく、欲望、要求、個人、アイデンティティを生産することによって作用する
国家は超越的ではなく内在的な原因であり、社会生産のさまざまな経路、制度、囲い込みに内在する国家管理である
・グラムシとフーコーは、ヘーゲルの市民社会の対照的な二面に光を当てた
・国家ではなく、市民社会が衰退しかけている


・自治会費の代理徴収をどう評価する?
・大学はパブリック・フォーラム?
・大学院は毎年大量の失業者を生産する

○チェック
グラムシ
フーコー
アラン・ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』
リースマン『高等教育論』
喜多村和之『大学淘汰の時代』
ペーター・スローターダイク『シニカル理性批判』
『性の署名』
『ネオリベ現代生活批判序説』
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すが秀実「吉本隆明と黒田寛一――六〇年安保と知識人界」『早稲田文学0』(2007) 

○黒田を評価しているよう
みんな、運動しようよ、ということなのでしょうかね
左翼用語がわからん
「革命」って、なんなんだろ
「革命」の代理=表象となる「文学」なんてありうるのかな
ぼくらは、言葉の残骸のなかを生きていくしかないのか
「固有性」は必要か
我慢できるひとは我慢できる
リスカはなぜなされるのか

○内容
・黒田と吉本は1960年に論争を行った
この論争ののち、黒田は革マル派の偶像的・秘境的指導者として、吉本は丸山真男に代わるジャーナリスティックな知識人として、道が分かたれる

・「先駆的にはロシア・フォルマリスムが教えており、今や文化研究の常識となっているように、権威的・制度的文化ヘゲモニーの転換は、下位のサブカルチャーにおけるヘゲモニー抗争に規定されている。その意味で、五〇年代後半に登場した「反スターリン主義的」な政治的・思想的諸潮流は、広義にも狭義にもサブカルであったし、その抗争は、後の文化ヘゲモニーの帰趨を決定したのである」

・「六八年」を通過したのちに残ったものは、またしても黒田と吉本である
「「知識人の運動とはなにか」という問いが失効しているかに見える現在において、しかし、「知識人」の亡霊はぬぐいがたく徘徊している」

・六〇年安保は「ドレフュス革命」でもあり、「「新左翼」という新しいタイプの「知識人」を誕生させた」

・「学生インテリゲンツィアに支持基盤を置く、「民主主義に対する一種の軽蔑を前提とした」独立的な極左知識人の潮流」……黒田と吉本……二人の論争の重要な論点が、知識人論である

吉本……急進的インテリゲンチャ運動の肯定
黒田は労働者フェティシズム、党フェティシズムにとらわれていると批判

・八〇年代以降の大衆消費社会は労働者フェティシズムを払拭し、黒田に対する吉本の優位を印象づけた
「「主体」のモデルは労働過程において規律・訓練される「労働者」ではなく、流通過程において資本に自由かつ対等に振るまう(そして、管理される)「消費者」であると見なされるようになる」

・今日のネオリベラリズムの濫觴……「八〇年代における国鉄=国労解体をメルクマールとするところの中曽根「民活」」

・黒田は、フェティシズム的な「労働者の組織化」を持続
吉本はポストモダン的なネオリベラリズムへと傾斜していくことを余儀なくされる

・「3 六〇年「六・四ゼネスト」の謎」
吉本と黒田の分岐点

・吉本は、労働運動に先行して、学生たちの「急進インテリゲンチャ運動」が必要だとする

・しかし、黒田には、六・四ストに対する知識人の応接ぶりこそが、「急進的インテリゲンチャ」の自己破産を証明する出来事と見えた

・鶴見俊輔による、東海道線の列車転覆計画などである……これは、黒田にとって「プチ・ブル的焦燥感にかられた極左方針」である

・この件について、鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊栄二『戦争が遺したもの』で、鶴見は偽証をしている?

・五〇年代共産党の「極左冒険主義」

「「極左冒険主義」は、吉本やブント=全学連にとって、ある種の難問であった。ブントは日本共産党の平和革命路線に対して暴力革命を掲げて登場したと言われる。しかし、ブント=全学連の中心は、五〇年代に極左冒険主義を採用していた所感派(主流派)に対立する国際派の系譜を継いでいた」
「五六年のスターリン批判以後、既成共産党の権威に疑いを持った学生党員たちは、宮本=共産党の平和革命路線を闘争の放棄と見なし、独自の急進的な運動を展開しはじめた」「そこで導入されたのが、学生インテリゲンツィアの急進性が労働者階級を牽引しうるとして、戦後学生運動を戦闘的に展開することを保証していた武井理論だった」

・ブントには、「暴力革命を掲げて、なおかつ「極左冒険主義」を斥けること」のディレンマがともなっていた

・「「擬制の終焉」において、吉本は、安保闘争を戦後民主主義の成熟と見なす丸山真男ら市民主義者の見解に反対して、そこでの「市民・庶民の行動性」は、「はじめて自己の疎外感を流出させる機会をつかんだ」ことの表現だと言う」

・鶴見による新幹線転覆の目論見は、「ラディカル・リベラリズム」?

・市民主義者……鶴見、丸山

・吉本と黒田は、市民社会の成熟の延長上に革命を展望し、「市民主義者」を批判する

・グラムシ……有機的知識人論……市民社会は人間的普遍性を生産する場であるために、革命的な契機をはらんでいる。その普遍性は、商品生産と商品流通によって形成される。「個々の商品生産の場では個別的・具体的な有用労働としてあらわれるものが、流通場面(市場)では抽象的人間労働として「普遍化」される」→「市民」成立→普遍性に抗する、資本・階級・国家といった阻害要因を排除するための「市民的」=「倫理的」なヘゲモニー闘争が要請され、有機的知識人の必要性も導かれることになる→労働組合の賃上げ闘争、搾取に反対する闘争が作動していることが前提となる
⇒丸山真男ら、市民主義者


・ルカーチ……「予言者」的知識人論……物象化論(疎外論)……「市民社会における労働を、数量化=物象化され質的なものを疎外するようなありかたをしていると捉えた」「商品の交換可能性の担保であるところの労働の抽象性や交換価値は、むしろ、自己のものであるはずの生産物が他者に譲渡(疎外)されるための否定的な側面と見なされる」……市民社会は倫理的な装置を持たないと認識されるため、倫理的な「党」の存在が、より重要視されることになる……「時として発生するところの、数量化・物象化された世界に対する質的なものの反乱は、それ自体としては無意味でアナーキーな暴動と見なされる」……「党は市民社会から超越していなければならない」……スターリン批判以後、はじめて、ルカーチが主義が十全に発揮されるようになった
⇒黒田

・ヨーロッパにおける一九二〇年代のグラムシVSルカーチの構図は、一九六〇年代初頭に丸山VS黒田として現出した

・二極の中間に、「市民主義者」鶴見俊輔のアナーキーと、党ではなく「急進インテリゲンチャ運動」の先行性を主張した吉本隆明が存在する

・大衆と結びつこうとする吉本と、孤高に待機をなす黒田

・「労働運動という、もう一つの下位の政治文化では、吉本の影響力が皆無であり、黒田のみが力をふるったことは言うまでもない」

・「黒田寛一は初期にはしきりに「文化理論戦線」の再編成を叫びながら、その市民社会のジャーナリズムにおける代補を埴谷に託したのであろう」

・森茂の芸術論……「労働対象はすでに商品化され、貨幣(≒抽象的人間労働)によって数量化されているのだから「美」もまた疎外され、資本制においては、芸術は疎外された芸術とならざるをえない」「労働者が革命の主体であるのと同様、芸術家は革命の代理=表象(「宿命的に世界を背負う人」!)たりうるのである」「ここに、真と善のみではなく、美をも包摂する「党」が可能となる」「この「美」の論理が、『美学講義』のヘーゲルが散文芸術(小説)を哲学的革命の代理としたことのマルクス主義的変奏である」「ちなみに、現代文学の「終焉」問題は、文学が革命の代理=表象たりえなくなったところにある」

・アカデミズム、知識人界から疎外された黒田の、革命家、芸術家、知識人としてのあり方
⇔構造改革派知識人……「衣食足りて礼節を知った」

・ルカーチ、黒田→労働の抽象性は、質を捨象した数量化として斥ける……「労働が、抽象的でつまらない」

・「労働が抽象的人間労働としてあらわれる」「「市民社会」とは、資本制において場所的にも時間的にも特殊なものでしかないのではあるまいか。その意味で、構造改革論も疎外論も「市民社会」のイデオロギーだったのであり、「市民社会」という歴史的・局所的な場においてリアリティーを持ったものなのである」

・「格差社会」……同じ労働で賃金がまったく違う……労働価値説が失調をきたし、かわって価値形態論が有力となった

・「「ワーキング・プア」といった言葉に象徴されるように、労働の抽象性が崩壊していることが明らかであるため、改めて労働価値説の再建が企図されねばならない」
「抽象的人間労働」は「決して実現されないが、かといって払拭されることもない」

・「社会が「市民社会」として有機的に「普遍」へと方向づけられていないかぎり、アカデミズムや講壇知識人も意味=方向」「の失調にみまわれている」ため、講壇知識人の存在理由がなくなっている

・市民社会は縮減しつつも消滅しない

○チェック
ルカーチ
グラムシ
吉本隆明『思想と幻想』「擬制の終焉」
ジョルジュ・ソレル『暴力論』
川上源太郎『ソレルのドレフュス事件』
クリストフ・シャルル『「知識人」の誕生』
黒田寛一『日本の反スターリン主義運動』1
大月洋一(松田政男)『現代の発見』第八巻

吉本隆明「転向論」を読む会 

「「必読書150」を読む会」主催により、吉本隆明「転向論」を課題図書とした読書会を行います
http://literaryspace.blog101.fc2.com/blog-category-6.html
開催日時は1月13日(日)の13:30~16:40です
場所は法政大学市ヶ谷校舎、大学院棟302教室です
http://www.hosei.ac.jp/hosei/campus/annai/ichigaya/campusmap.html
当日の飛び入り参加も歓迎いたします
どなたもお気軽にご参加くださいませませ

矢部史郎「内容のない人間」(『現代思想 2007年11月号 特集=偽装の時代』) 

現代思想 2007年11月号 特集=偽装の時代現代思想 2007年11月号 特集=偽装の時代
(2007/10)
不明

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矢部史郎が『現代思想』で法政大学のことをボロクソに書いている
法政の手引きにより運動家の逮捕がなされた
その裁判で、法政に雇われた人々がたくさん来ている
傍聴席を確保して、一般人や、運動家による傍聴を妨げている
何も知らないアルバイトを使って、裁判を自分の有利な方向に進めようとしているのだ
しかも、法大生の学費によって行っている
けしからん!
というお話
まじっすか?
そこまで法政当局はやっているの?
本当なのだとしたら、もっと法政は非難されていいだろう
アホか
嘘なのだとしたら、法政は『現代思想』にクレームを出すべきだろう

しかし、『現代思想』もすげえな
一私立大学の批判をテーマとしたエッセイを堂々と載せてしまうなんて
誰が矢部史郎に原稿依頼したんでしょう
このテーマなら、ぼくが書きたいくらいだ
ぼくが書きたい
もっと面白く書きますよー
書かせてください

以前、文芸評論家の池田雄一氏とお話した
相談してみた
誰かしら、左翼系の人に近づくなら、誰がいいのかなと
そしたら、矢部史郎なんてどう、とのお話だった
なので、ちょっと興味があったのだけれど

本日、2007年11月25日(日)
矢部史郎が法政で、学生サークル「つみつくり(追記、世論研究会)」のイベントに来るという話だった
ぼくも行ってみようかなと思っていた
でも、河原で昼寝してしまい、行かなかった
こういうこと、多いんだよな
以前から行こう行こうと思っていたところに、当日不意にキャンセルしてしまう
今日は朝から、なんか、テンションが低かったので

躊躇がある
OBが学生運動に関わるのは、どの程度ありなのかということ
いつまでも学生をやって、学内政治を牛耳る年配者は、見苦しいと思っていた
一方で、学生運動の全体を見ておく人も、社会には必要だとも思うし
大学の先生は、学生を、ペットにして行かざるをえないものなのかな

学生運動は、もはや風前の灯火なのでしょう
けれども、やっぱり重要だと思う
労働運動や環境問題、フェミニズム運動や障害者・高齢者の社会福祉系運動、部落差別、在日や琉球、アイヌ、移民問題、平和運動等
それぞれの現場というものがある
学生運動は、それぞれの運動の場への、導き手となる起点になったりするもので
すべての市民が、覚えておくべきことではなくても
誰かが気にかけなければいけない問題というのは、あちこちにある
そういうことに、気付かせる場として
大学というのは重要なのでしょう
この役割というものを忘れちゃったら、大学の、社会的な存在価値はないでしょう

・今後、学生運動はどのように行うべきなのか
・大学当局は、すべての学外勢力を追い出すべきものなのか
・「支配」と「善導」はどう違うのか
・大学とは、公共圏なのか
・社会にとって、大学の役割とは何か
・資本の運動と国家の関係、大学との関係は、どういうふうになっているのか
・大学での自由な討論とは可能なのか
・社会にとって、「学校」とは何か

これらのことが、気になってしまうのである

川上未映子『乳と卵』 

文学界 2007年 12月号 [雑誌]文学界 2007年 12月号 [雑誌]
(2007/11/07)
不明

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「文学界 2007年 12月号」掲載

2ちゃんでは、今のところ
芥川賞はこれで決まり
みたいな話の流れになってますね
「わたくし率イン歯ー、または世界」より読みやすく、親切な作品

タイトルは「乳と卵」
「わたくし率」よりずっとシンプル
今回のタイトルはほとんど、そっけない感じですね
作品の主題を直接的に表している

水商売の母と、成長期の娘
お母さんは、豊胸手術をしようとするのだけれど、娘はそれを嫌がる
二人の振舞い・状況・心理を描いていく

胸を大きくするとか化粧をするとか
そういう文化というのは、人間のみがなすことであって
人間にとってある「美」というもの
自分で自分を「飾る」というのは、常に対他的行為である
女性にとっての、化粧をするとか、着飾るという行為
それは、男性に対するものなのか
じゃあ、「美」というものは、独立したものではないのか
「美」とは、隷属的なものなのか
男性優位の形で、「美」というものが形成される
水商売をするからには、胸が大きい方が有利だと
女性の身体を変形すらさせる
それが、「豊胸手術」なのじゃないのか
そういうジェンダー的な問題へと触れている

そこまで踏み込んだ考察をして、シェンダーについて扱っているわけでもないようだけれど
やりすぎると、PC派みたいになって、うっとおしくなるし
適度に社会的
過度でなく政治的で、その点でも芥川賞を外していない

本作の批評をなすとしたら、樋口一葉の『たけくらべ』と埴谷雄高の『死霊』七章から補助線を引くこともできそう
川上さんの文体は、町田康やモブノリオの語りというより、一葉の話体を範にしているのでしょう
「わたくし率」は少々哲学じみていたので、その点が不明確だった
「わたくし率」は埴谷的
一方、『乳と卵』では、日常的な、等身大の視点で、物語が作られていて、その点『たけくらべ』に近いわけですね

昔の歌だけど「ふくらんでいく乳房が怖かった」という歌詞が、「cocco」の曲にあった
女の子が、自分の身体が発育していくことを恐れるわけですね
「乳と卵」では、水商売をしているお母さんの像というのは、ひょっとしたら「緑子」の未来の姿なのかもしれない
子供は子供であって、「人間」でない
女になっていくこと
社会によって、女にならされていくことへの恐怖
女の子の名前は「緑子」だけど、「たけくらべ」の「美登利」からとっているんでしょ
それで、初潮というテーマとかがかぶる

タイトルを「たけくらべ」と似たようなものにした方がいいんじゃないかな
「乳と卵」じゃ殺伐としすぎてるでしょとも思うけれども
まあ、前回の選評で、大分タイトルにはつっこまれてましたからね

「女にならされる」
「子供を産むことに意味があるのか」
「排卵における卵」って、なんなの?
この三つについては、埴谷の『死霊』七章ともテーマがかぶっている
実存的な問いですね
観念的なアイディアを点と線にしつつ、具体的な生活を綴っていく
バランスも良い

あちこちで、辞書・実用書からうつしてきたようなトリビアな知識が盛り込まれているけれども
「へえへえへえ」と言うかな?
それが書くとき、喋るときの癖、ということもあるのでしょうか
「辞書的な言葉」と「対他的な言葉」
二つの摩擦、ということも、念頭にあるのでしょうけれども
「ほんまのことはない」と
言葉の定義は循環していき、無現退行を起こすという奴ですね
語りはじめの語りとは、何なのかということ
その始点に「私」が宿らざるをえない

語り手は空気ですね
「わたくし率」より、爽やかで身軽
ずっといい
でも、これ、語り手は登場人物として必要あったかな
「一葉」+「大阪弁」という手法を使うとき、語り手をどう処理するか
難しい作業を丁寧にこなしていらっしゃると思うけれども
「である」と「です」が不統一なところもあったけれども
いわゆる「近代小説」ではない、異色な話体だし
近世文学と、横光利一『純粋小説論』やドストエフスキー『悪霊』
そこらへんにおける「第四人称」の問題と、関わることかもしれませんね

「男性」が登場していないがゆえに成功し、また、そこが「見えない場所」ともなっている作品
「現実的なもの」が、隠され、繕われている気がします
総合的な小説を書くのは難しいことなのでしょう
でもこれはこれでいいと思います

川上未映子『わたくし率イン歯ー、または世界』 

わたくし率イン歯ー、または世界わたくし率イン歯ー、または世界
(2007/07)
川上 未映子

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○2ちゃん、アマゾンでの評価は賛否両論
文学板では、盛り上がっている

以下、2ちゃんの情報等
・文体に特徴あり
町田康、モブノリオとの類似性の指摘
音楽的
・「難しい」という意見と、「まったく難しいとは思わない」という意見がある
・新作は評判良いですね

○論点
論じるとすれば

・「歯」と「私」の関係はどうなっているの?

・「痛み」を引き受けるひとと、引き受けないひとがいるの?

・日記形式で、日付けが前後している。一読しても構造がよくわからないけれども、どうなっているの?

・語り手の女性と青木との関係って、どうなっているの?

・「主語の秘密」「歯の「無い」を浮かびあがらせる」ってなに?

・哲学の話題は、効いているの?
哲学的な題材を小説に導入するとき、哲学に本来的にあった明晰なものが失われて、内容が薄められる可能性がある
逆に小説としてはいたずらに分かりにくくなる、という欠点もあったりする

・象徴性、抽象性が高く、その点安部公房に近いのかな

・川端の『雪国』冒頭における「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」における、主語の問題を取り上げている

「あの最初んとこのあの主語が電車でも列車でもなくて、雪でもトンネルでもなくてって、ほんなら何やろうかって話したやんか」
「夢の中で蝶々になってもそれがいったいどないしたんや、蝶々になろうが何になろうがそれそこにある私はいっこも変わらんあるままや、わたくし率はなんもかわらん、蝶々がなんやの、私は奥歯や、わたくし率はぱんぱんで奥歯にとじこめられておる、でもでも何が何をとじこめてんの、なあ一緒に考えよう、あの雪国の、あの主語にその秘密のちょっとが隠されてる気がしたん、あの文章は、どこ探しても、わたしはないねん」「こんな美しいことがあるやろか!」

『雪国』の冒頭については、ちょっと、いろいろ面倒くさい議論が、背景に必要ですね

・この作品自体は、話芸としてのあり方が目立つ
河内弁の採用とは、文末を標準語のものとは変えること
終助詞と助詞を、方言にする
でもそもそも、日本語は、終助詞に「私の意志」や「主語」が含まれている
というのが、時枝誠記やなんかの国語論だったのじゃなかったっけ
そのこともあって「私」というものが、「私」という言葉ではなく、方言のなかに露出している
近代小説の主流は、語り手の透明さにあるのでしょう
なので、いくらか近世文学的な感じ
『雪国』とこの作品を比較したとき、ちょっと違いがあるのでしょう

・「私」というものを、「歯」と「方言」に代表させているのでしょうか
これはうまくいっているのでしょうか
実験的ですね

・語り手における対他的関係はどうか

・語り手における「いじめられた経験」の告白はどうか

・登場人物は魅力的かどうか

・「私」というものが、社会を媒介せずにいきなり「世界」とつながるのはどうか
「わたくし率イン歯ー、または世界」というタイトルが、その点ちょっと、セカイ系っぽい
でも、この小説の主な課題が、「私」というものの構造を問うことにあるのなら、このていどの長さの小説では、社会が登場しなくても問題にはならないのだろうけれども

・この作品は、虫めがね的だと思う
カントやウィトゲンシュタインは顕微鏡
社学は望遠鏡
虫めがねで世界を見ると、ぼんやりしてしまう
何がそこにあるのか、全体像が見えにくい
語られている内容がやや不鮮明
鮮烈的なカタルシスを求めたい気もする
肉眼をメインとしつつ、適宜、虫めがね・顕微鏡・望遠鏡の視点を導入するのが、王道的な全体小説なのでしょうけれども

・装飾性が高く、重装備な文体
その点では軽薄短小なラノベ、携帯小説と反対の位置にある
ラノベ等の「ジャンル小説」は、書き手の「私」というものが後景にあると思う
本作は「私」のあり方において、やはり純文学的な感じ
息の長い文章をお書きになりますね
対他的な強い意識をビシバシ感じる
ぼくなんか、あんまり肩肘こらない文体を選んでしまいますけれども

○チェック
永井均『子どものための哲学』『西田幾多郎』
西田幾多郎

○以下、2ちゃん「【次回は】 川上未映子 【受賞?】」スレッドより引用
割とクリティカルなことを言っているなと思わせられた書き込み
おおざっぱものであり、それほど内容に踏み込んではいないけれども

「227 :吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 23:47:16
モブは語彙も読書量も知識も川上とは比べものにならんよ

362 :吾輩は名無しである:2007/10/23(火) 19:49:30
むしろ自分自身の根源の陳腐さを否定したいが為に無駄に哲学じみたことを言ってるだけだと思うが
あと、この小説が難しいとはまったく思わないね
ただの厨臭い表現を信者フィルターで深読みしてるだけだろ
しかし試みる人間が希少って…どんだけ読書量少ないんだ
最近の作家なんて社会意識が低い分、哲学ぶったこと書いてる奴らがむしろ大多数じゃないか
川上はその中でも特に表現がイタイから目を引いてるけど
哲学的な小説で衝撃を与えるならクレジオくらいのことはやってみろっての

379 :吾輩は名無しである:2007/10/24(水) 01:58:16
小説、構造的には優れているとは思えないなあ・・・

設定は面白いと思うが、
ストーリーはだめだろ?
結末は、全然だろ?

小説として優れてると主張している
人は、あのいじめ、妄想オチはどう考えてるの?

自分も、文体・設定は、評価してるけど、
どう考えても、小説としては三流だよ。

オチは、携帯小説並みだぞ?マジで

380 :吾輩は名無しである:2007/10/24(水) 02:05:22
自分は>94のレスも書いた者なんだが、
生意気言うが、やっぱり日本の現代の批評家は、期待できないと思った。

芥川の選考委員の作家達は、>>379のような点にも
ふれていたが、
評論家は、もちあげたり、瑕疵には触れない、
「文芸太鼓もち」ばかりという印象だよ。残念だ。
(誠実な批評家もいたら、申し訳ないが)
映画会社の宣伝マンでしかない、映画評論家のようなもんなんだな>日本の文芸評論家

自分が知識が無いだけかもしれんが、なんていうか、がっかりだ。 」

ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』 

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)
(2000/06)
多木 浩二

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○冒頭からマルクス主義の話題
マルクス主義的芸術論って、どのていど有効なの?

ヘーゲル的で、通俗的な歴史観が前提になっているけれどもいいのかな
ヘーゲル『美学講義』などと関連があるのでしょうね
「歴史」のなかに「固有性」「単独性」が存在する
それが「美」である
そのはずだった
ということかな

・神社・仏閣・アニミズム・伝統芸能みたいな芸術―「アウラ」のある、素晴らしい芸術
・「写真」「映画」みたいな芸術―「アウラ」のない、ファシズムを招く芸術
というふうに、二項的な感じがしましたけれども
そうでもないでしょうか?

日本の漫画・アニメの批判として、使えるかな?
使えないかな?


資本主義と存在論 

Webの世界はすげえよな
自分にはまったく歯が立たないような、格上の人がうろうろしている
たとえば、山川草木の自然において
入っちゃいけない山に入ると、人間ならぬ存在に出くわして、命を取られてしまう
そういう「畏怖すべき場」というものがあちこちにある
異端のオーラをピリピリと感じる
神的・魔的な領域を形作っている
かなわねーな

ぼくも、もう20年くらいどちらかといえば、「非日常」の側にいたつもりではある
幽霊的人生
アウトローであることにちょっと憧れがあるけれども
ぼくは凡人だし
実力もないし
ギラギラしたものもない
「あるもの」と「ないもの」のうち、どちらかといえば「ないもの」に属する

「あろう」とする信念

努力

実力
持続力
精神力
体力
競争力

それらが人間を「あるもの」たらしめる

それらを健やかに育成することは、国家にとって、子育てにおける最重要項目であろう

「欲しいもの」を「欲しい」と主張すること
そのことのために耐えること
「力」を蓄える手段である
できるだけ、大きな企業に入ること
国家の幹部になること

「死」というものはいつもそこにある
「死」のなかに生があることを、実感すること
「死」が「時間」という概念の呼び水となる
「取るもの」と「取られるもの」はいつもそこにある
「勝つもの」と「負けるもの」はいつもそこにある
「勝つもの」は累積的に多くのものを得ていく

道端にベンツが停めてある
いたずらをして、パンクさせる

お金が欲しい
おいしいものが食べたい
恋愛が欲しい
エロが欲しい
服が欲しい
芸術が欲しい
車が欲しい
家が欲しい

いいないいないいな

金銭というものも
恋愛というものも
ある種の「存在論」のなかにいつもすでにある
人間は、「あるもの」に引きつけられる
「あるもの」と「あるもの」の差異に敏感になることで、人間は人間になった
「あるもの」と「あるもの」の違いを見抜けることが、そのひとの美的世界を形作る

死の恐怖
不在の恐怖
孤独の恐怖
老いの恐怖

死にたくない死にたくない死にたくない

「あるもの」の背後には「ないもの」が貼りついている
「あるもの」を「ないもの」が侵食する
人間は、「あるもの」と「ないもの」に、いつもすでに試されている
「ないもの」が「あるもの」を脅かす
資本主義は神経症の中にある

ハイデガーやデリダなんて難しい思想書はよく分からないけれども、そんなことをしばしば考えます

   /\ 吊れやゴルァ
  ∥∧∧ //
__|( ゚Д゚)_
L__⊆   ⊇_|
 ̄ ̄∥| | ̄ ̄ ア-ボン
  ∥| | ___
  ∥UU J_†_|
  ∥ | ( ゚Д゚)
  ∥ | (⌒つΟ
  ∥ | | †|
 | ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
 |  |  †  |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

府中市公園緑地課 

幼児が砂場で遊んでいるのに、砂場は荒れている
枯葉が積もり、砂は土化している
固い
衛生的でもないよう
府中市公園緑地課は、ちゃんと仕事をしているのか
こういうのをチェックする機構はないのか
一年に一回は状態を調査し、適宜砂の入れ替えを行うべきである


   *``・*。
   |   `*。
  ,。∩∧∧  *
 + (・ω・`)*。+゚
 `*。 ヽ つ*゚*
  `・+。*・`゚⊃ +゚
  ☆ ∪~ 。*゚
  `・+。*・ ゚

文学の方法 

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