ルソー『人間不平等起源論』 

不平等論―その起源と根拠 不平等論―その起源と根拠
ジャン=ジャック ルソー (2001/11)
国書刊行会
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「自由」と「平等」が現代の国民国家制度成立に預かる重要なテーマ
あなたは「不平等」ということを気にしたことがあるだろうか?
身の周りに、なんらかの不平等を見つけたことがあるだろうか?




○形容詞と不平等
たとえば、こんなことに「不平等」があるかもしれない

☆金銭の有無、容姿と身体、仕事の能力、成績、家庭環境、個性、明るい、暗い、男性女性、年をとっていること、若いこと、健康と病気、背が高い、背が低い、勝っている、負けている、かわいい、かっこいい、醜い

かわいいとかかっこいいとか、お金持ちだとか浮浪者だとか
これらの言葉は、形容詞、ないし、「属性」を表す言葉である
ルソーは、言語はまず固有名詞から誕生し、形容詞が形成されるのは最後だと推理している(言語起源論)
形容詞は抽象的であり、固有名詞にくらべて高度で人為的な言葉である、といえるのだろうか

たとえば、動物について考えてみる
たとえば、知的障害者について考えてみる
もちろん、<大きい/小さい>等のカテゴリーは動物にとっても重要であるが
「不平等」を表す上記の性質
☆金銭の有無、容姿と身体、仕事の能力、成績、家庭環境、個性の不平等、男性女性、老いることと若いこと、健康と病気、などなど

それらの性質に対して、センシティヴであること
あいつは金をもっているとか、ブランド品を持っているとか
それは、<自然/人為>を分ける、大きな分水嶺だといえる、かもしれない

これらの形容詞・属詞はいずれも、「相対的な問題」である
自分と他者、ある人と別の人とを眺め、比較した結果生じる
さらに、それぞれの項目は、美と、道徳に、強く関わる

ブランド品が欲しいとか、成績がいい大学にいきたいとか、美しい人とセックスしたいとか
<自然/人為>の対比のなかで、「人為」を追及することで「不平等」が生じる
「自然」の状態では、人は誰しも一人で生き、自己と他者の比較がなく、「不平等」が生じない
というのが、ルソーの『人間不平等起源論』である

○不平等と「悟り」
人は、自分と他人を比べてしまう
いいものはいい
上を見たらキリがない
横を見たら、君がいた
そんな風に、「上」というものを追求したらきりがない
むなしくなることもまた、あるかもしれない

『不平等起源論』における「自然」とは、仏教における「悟り」である
「悟り」をえよう
それが、『不平等起源論』の、隠れたテーマかもしれない

○「不可能なもの」としての「過去」と「未来」
人間には経験不可能なものが最低二つある

1自己の生まれる前、ないし過去
2自己の死後、ないし未来

この二つは、人間にとって、経験不可能なもの
余白として残されている
過去と未来は「謎なもの」として、ふとした隙に、人間へと襲来する

1自己の生まれる前……過去
は、若干の範囲において、書物で情報を集め、想像することができる

過去と未来、この二つの「経験不可能なもの」に依拠して、「現在」を批判することは、評論においてしばしば使われるポピュラーなやり口である

ルソーも、この図式にすんなりあてはまる

○過去から現在を批判する『不平等起源論』、未来から現在を批判する『社会契約論』
『不平等起源論』におけるもっとも重要な対比と要点は、以下のものだ
<社会(マイナスイメージ)/自然(プラスイメージ)>
<現在(マイナスイメージ)/過去(プラスイメージ)>
現在は、社会の作られた状況である
過去は、「自然」な状態であった
過去の「自然」から、「現在」を批判しよう!
それが『人間不平等起源論』の趣旨である

一方、『社会契約論』は未来から現在を批判する
<自然(マイナスイメージ)/社会(プラスイメージ)>
<現在(マイナスイメージ)/未来(プラスイメージ)>
現在は、「自然」な状態である
今後、理想的な「社会」を「契約」により作らなければならない
未来の理想社会の地点に立った視点で、現在のおかれている状況を批判する
それが『社会契約論』である

自然と社会、それぞれの、マイナスイメージとプラスイメージが、二作品のそれぞれで反転していることに注意したい
語の用法や、定義がずれてくるのである
過去に定位して現在を批判するか
未来に定位して現在を批判するか
論文構成法の差異のためである

○キリスト教と『人間不平等起源論』
『不平等起源論』におけるもっとも重要な対比は、以下のもの
<社会(マイナスイメージ)/自然(プラスイメージ)>
<現在(マイナスイメージ)/過去(プラスイメージ)>

ここにある「自然」は、キリスト教における「エデンの園」を念頭においておくと、理解しやすいのじゃないか

イヴとアダムは「善悪の知識の木の実」を食べることで、自分達が裸であると知り、さらに、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少する結果を招き、神により「エデンの園」を追放された
これがキリスト教での原罪とされる

1人間は、過去、「エデンの園」(≒自然≒悟り)にあった

2→神によるエデン追放!
人間は、テクネー、善悪の知識、恋愛、言語(形容詞)、農業、不平等、原罪を身に負う

3→現在の社会が形成される
 
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