「Web日記」と「純文学」 

面白い文芸作品とはどういうものか
この問いに対する答えは十人十色だろう
そもそも、文芸作品なんておしなべて面白くない、という人もいるだろう
「優れた文芸作品」というものを決める、多くの人の認める共通的な価値は、ほとんど成立しえない時代にありそうだ
しかし、ぼくはぼくなりに、このような文芸作品が面白い、という明瞭な価値観があるので、それを提出しておきたい
まず、Web上でのブログやSNSで見られる「Web日記」について俎上に載せる
「Web日記」は「文芸作品」でありうるのか、ありえないのか
次に小説一般について考える
最後に、純文学というものが持つ基礎的な土台について言及する

日本人のWeb上での執筆量は、世界でもっとも多いらしい
ブログでもSNSでも、楽しみながら日記を書く人をしばしば見かける
たくさんの人々が、言葉を紡ぐことの快に、自然と身を委ねている
日々Webへとアップされるそれらの文章は、「文芸作品」として成立させよう、という作為はほとんどないだろう
ブログ・SNSの日記で扱われる話題は様々であるが、「自己の体験」を綴ることが主流であるようだ

それでは、人々はなぜ日記を書くのだろうか
第一に、日記を書き、それを公開することは、コミュニケーションツールとしての役割を果たす
自己の経験や、興味の対象を、他人と共有できる
第二に、自己慰安にもつながりそうである
面白かった体験を作文することで、そのとき味わった喜びを再び噛みしることになる
また、自分の受けた辛い経験や失敗談を、文書にすることで、客観的なものへと外化させられる
そうすることで安らぎをえられるかもしれない

Webで「日記を書く」ことの目的は、たとえばそういったことがありそうだ
さらに、Webの文書と、出版文化における文章の違いということも考えてみたい
「日記を書く」ということは「小説・エッセイを書く」ということと、どのように違い、どのように似ているのか

たとえば、Webには「おもしろ日記」を集積するコミュニティがある
また、「小説」を載せるコミュニティもある
二つの場の持つ空気も、だいぶ開きがあるようだ

「日記」と「小説」
ぱっと見の違いの一つ
「Web日記」ではWebのみで使われる文体が前面に出る
行替えが多く、口語的である
一方、「小説」となると、「紙媒体」への意識が明瞭となる
「紙」という媒体は「文体」を規定し、小説風のストーリーと舞台が必要となる
また、出版文化での「小説」「エッセイ」には、一定レベル以上のクオリティが求められる

文芸作品と一口にいっても様々な種類のものがある
その魅力は多様である
しかし、文芸の基本となるのは「模倣」と「代表」であるだろう
ある人の陥りそうな、陥りうる状況
体験した、体験しうる状況を「模倣」し、再構築する
自己の気持ちを文書へと「代表」させる
「Webでの日記」においても、「小説」「エッセイ」でも、「模倣」と「代表」が文芸の、一つの核となる

まるでその場に居合わせるかのようなリアリティを再現させることが一つ、「文芸作品」を、「文芸作品」足らしめる
書き込みの緻密さ、作りこみの深さで、手の込んだ、リアリティのある文芸作品を作れるか
紙媒体とWebの文章で異なるものの一つに、リアリズムの文章力があるだろう
豊富な語彙を用いて、対象となる題材を細やかに創出し、登場人物の生きる、前後のコンテクストまでを含め、ある程度の長さを持った文芸作品を創る
この場合、書き手の熟練がいるし、手間暇も必要である
特異な修行を何年も行わなければ、身につかない修辞の力がある
もちろん、リアリズムの文章だけが文芸作品の楽しみとも、言えないかもしれないけれども

次に、「小説」における主題について考えてみる
「物語」に属するジャンル一般では、勝利、恋愛、成長がうまく書けることが一つの魅力になるかもしれない
魅力的な人間を描くことや、三人称客観の小説を書く能力も基礎的なものだろう
青少年向けの作品、ライトノベルでは、学生生活が作中の舞台として選ばれることが多いだろう
大衆文学的なものとして、ファンタジーやSF、ミステリ、歴史小説、ハードボイルドなど、異世界を舞台としたもの、あるいは、現実を、異世界風に描いたもの等があるだろう
一方、芥川賞受賞作などは、あるていどの共通した傾向がありそうだ
学生生活よりのち、20代以降の、日本社会での日常生活を、公的・私的な面で扱いつつ、リアリズムの筆致で描いた作品が多そうだ

今、「純文学」的小説を「読みたい」「書きたい」と考えた場合、「純文学」とは何かと、おおまかにくくるとする
第一に、純文学とは、「社会」というものを舞台とする必要がある
多かれ少なかれ「社会」は「純文学」に登場する
第二に、リアリズムの文章力が要求される
たとえばカフカ風の幻想小説であったとしても
登場する風景の綿密な描きこみや、独自の現実感をもった文章力が、迫力あるリアリティを支えている

そもそも、社会や言語はどのように誕生してきたか
社会や言語の起源は、動物ならぬ人間のみの持つ力である、「想像力」に依拠して成立した
「社会」も「言語」も「想像力」によって作られた
とする論もある
「社会」を作り、維持するのは大変なことだ
また、社会に適応した人間となることも、ひどく大変なことだ
社会的な市民になるためには、法や規則というものが、身体化されなければいけない
ルールを逸脱せず、社会に適応した生を送れればそれに越したことはない

すべての子供はしつけを受ける
大人になる過程で、一定のルールを覚えこまされる
空気のような状態へとなるところまで、徹底して「禁止」の札を装備することで、「人間」は「人間」になる
ある固定された想像力が、社会人の形成には必要である
特定の型式化された、過剰でない想像力の発揮が、常識と、節度のある人間を形成しているとみなすことができる
常識が苦労して獲得されるが、それを身に付けたあと、その過程は自明なこととして、起源は忘れ去られる

文芸作品を読むとき、ひとつの判断項として、その作品が「社会」へと親和的であるか、非親和的であるかということでチェックすることができる
誰しも、日常の生活を送る中で、ふと「異界」が開けてしまうこともある
ある人の想像力が、暴走すること、コントロールできなくなることで、社会から疎外されることもある
たとえば精神病
身体や言語が、精神の束縛を破り、思惟の制御下を外れる
社会生活を営むことができなくなる
あるいは恋愛依存症や、セックス中毒などもある
「社会」からの逸脱は、たとえば夢にも現れる
浮気や離婚、浪費、仕事のつまずきに現れる
たとえば犯罪に現れる
また、「死」や「病気」、「老い」というものは、社会生活に忙しく駆り立てられるなかでは、忘却される時間もあるが、誰しもいつか直面せざるをえない「異界」である
「異界」を認知する力もまた、「想像力」であると考えられる

ある文芸作品が面白くないと感じる、代表的なケースが私には二つある
まず、社会に親和的でありすぎて、想像力を欠くケース
異界というものがまったく見えていない場合である
次に、作品そのものに、他者性、社会性がないケース
読み手を魅了する人物を創出できていなかったり、超常的になりすぎ、常識を欠く場合である
この二点で、不備の生じてしまう文章は多いだろう

その気になって見れば、あらゆるところに「異界」は広がっている
「社会」や「人間」というものを構築させている想像力の形
それをちょっとひねってみる
そうすると、あらゆるものが一変してしまうかもしれない
禁則事項がそこらじゅうに書かれている
膨大な「無」に支えられて、「有る」ということが成り立っている

想像力により「禁止」と書かれた札をひょいとはがし、そこにお店を広げてみる
それは革命的な行為となり、新しい何かを創造するかもしれない
あるいは、友情や信頼を失い、破滅をもたらすかもしれない

第一に「社会」の形を把握すること
第二に、そこに、若干の想像力より構成される「異界」を混ぜていくこと
第三に、リアリズムの文体でそれらを表出すること
これらの三項目が、いい文芸作品の基礎にはありそうだ

最後に、Web日記と文芸作品を比較する
Web日記のなかには「社会」を見出すことができる
社会の中心は労働にあり、またあらゆる人々の生きる生活の全体が、社会を作り上げている
また、ときおり、Web日記のなかに「異界」を見出すことができる
「異界」とは、「社会」の反面であり、誰しもがおびやかされている、もう一つの世界である
「異界」にはポジティブなものと、ネガティブなものがある
ネガティブな異界はとりわけ目につく
人生の折り目折り目で、人はそれに足を取られる
文芸作品に必要なもの
第三のリアリズムの文章能力
これは、普通の人が社会生活を送るなかでは、ほとんど必要とされない能力である
Web日記の執筆者でこの能力を持つ人は多くはないし、プロ以外の人が、あえて身につけることもない

Webでの文章は意識的、人為的な文芸作品ではない
そのため、Webでの文章表現は、あるていど以上の規模のもの、クオリティのものとはならないかもしれない
多くの人に共感をもって迎えられる、巨大な作品が、Webの空間から現れるのかどうかは不明である
しかし、Web日記には、社会や人生や詩というものの断片が散らばっている
純文学は、Web日記と地続きであるというのが私の考えである
すくなくとも、「社会」と「異界」はWebという空間の、そこら中に見出せることは確かだ
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