プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』 

溺れるものと救われるもの 溺れるものと救われるもの
プリーモ レーヴィ (2000/06)
朝日新聞社

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プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』

ユダヤ系イタリア人の化学者兼作家であるレーヴィはアウシュビッツ生還者である
戦後約40年を経た、一九八六年、レーヴィが、収容所体験を邂逅する
社会学的な史実やアウシュビッツ体験者が戦争後に直面する困難なども語られるが、メインはアウシュビッツとは何であり、どんなものかという文学的、思想的な考察にある
静かな語り口である
ボソボソとうめくような声であり、読み手は「え?なに?何言っているの……?」みたいに困惑する
アウシュビッツの悲惨さが、大上段に示された本ではない
よく耳を澄まさないと、印象の薄い本になるかもしれない
SSなどのドイツ人を憎む、といった考えにかたよることなく、普遍的な視点でアプローチしようとしているレーヴィの姿勢ためかもしれない

『溺れるものと救われるもの』というタイトルの「溺れるもの」とは、ひとつにはいわゆる「回教徒」のことを指すよう
生きる気力をなくし、人間性をなくした囚人たちのことである
レーヴィはアウシュビッツを生還し、「救われるもの」となった
しかし、どうして自分は「救われ」、どうして多くのひとは「溺れるもの」として死んでしまったのか
「溺れるもの」としてのアウシュビッツの犠牲者たちがいて、それらとは別に、自分は「救われるもの」であったとレーヴィが自己定義をくだし、『溺れるものと救われるもの』という題名がなったのだとしたら
そこには強い自己呵責と、アウシュビッツ特有の、道徳律の反転を見出すことができそうだ
皆が殺されて、当たり前という世界である
戦後、彼は深い苦悩に陥り、「恥辱」を感じたという
「救われるもの」は後世に、事実を伝えなければならない
『溺れるものと救われるもの』執筆の一年後に、レーヴィは自殺してしまったという
本書に含まれた強烈に陰惨な体験と、くぐもった陰りを帯びた悲しい告白は、そのような結果をもたらすことも不思議でないと思わせる
レーヴィもまた、戦後四十年以上経てから「救われるもの」ならぬ、「溺れるもの」となってしまった
自殺を選ぶことは、アウシュビッツで地獄を見た彼にとって、「自然」であったのかもしれない

アウシュビッツ内では自殺が行われなかったということ
強制収容所での、SSと囚人との言葉というものにおける伝達不可能性が徹底的であるということ
収容された人々のうちの一部を「特別部隊」にしたてあげ、死体の始末等の雑用に使ったのち殺していくこと
後世の人々が、アウシュビッツに対して抱く、あらぬ誤解について
等々の指摘も考えさせられる

「他者」というものの強烈さ、恐ろしさを、人類史最悪の事件のなかに知ることができる一冊
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