文芸評論は消滅するのか 

「新潮」が新潮新人賞の評論部門を今回から廃止した

[規定変更]今回より選考委員を変更し、評論部門を廃止いたします。



なので、評論が投稿可能な新人賞を持つ商業誌は「群像」のみとなったらしい

今、群像の新人賞評論部門の作品も、あれこれ読んでみている
これ、ほんとに面白いの?と疑問を感じる

同人誌系では

早稲田文学


三田文学


江古田文学


が文芸評論も受け付ける有名所とのこと(木棚環樹さんのブログで知った)

文芸評論が、商業的にみて商品価値のない時代になっているのでしょう
思想的に深い文芸評論は、(ものによっては)相当面白いとおもうのだけれど、この価値の下落は何でなのでしょう……
調べていくと、いろいろな背景があるのでしょうね
少なくとも、日本文学科の近現代専攻って、社会的にみて存在価値が薄いのだなと、考えさせられる

もっとも、小中の義務教育で「国語」という科目がある限り、日文科は、大学からなくせないのかな……?
いや、教育学科で「国語」の研究をすればいいのか
石原千秋みたいに
じゃあ、日文科近現代はやはりいらないのかな……
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>少なくとも、日本文学科の近現代専攻って、社会的にみて存在価値が薄いのだなと、考えさせられる

松平さんの言いたい核の部分が私に分かっているかどうかは別として
思うに、商業誌に載せれる学術論文を書く学部は大学内にないと思います。医学部にしろ法学部にしろ、そこで学んで書いた学術論文が、「ノーベル賞を取りました」という成果として商業誌に載ることはあっても、論文そのものは学会誌にしか載らないような。
まあ、アメリカのクリエイティブ・ライティング科の実態などはあまり知りませんが、そこ出身の作家で売れる条件は「写真写りが良い」だとCBSイブニングニュースでやっていました。

[ 2007/09/26 13:23 ] 木棚 [ 編集 ]
なんとなく
>日文科近現代はやはりいらないのかな

ここに反論したいのですが、
そもそも「日文科近現代≒文芸評論」とか「文芸評論家=文芸評論新人賞受賞」とは思ってなくって、仏文科出身の文芸評論家もいるでしょうし、福田和也さんは文芸誌の評論部門新人賞受賞でデビューしたわけではなさそうですし、それとこれとはまた別物だろうと感じます。

文芸評論家の仕事・ポジションを大雑把に何種類かに分けて考えてみます。
1外国文化の輸入者(Ex夏目漱石)
大学内の仕事は主としてこれだと思います。
2日本文化の紹介者(Ex柄谷)
西洋人が世界の文学史や世界の文化史を西洋中心に編纂する。そこに日本代表として出て行って、外国から文明開化を要求される以前に日本にもルネッサンス的な性の解放はあって、好色一代男などが鎖国中の江戸にも存在した云々、などとやりあう。精神現象学や我が闘争で描かれているような、近代=白人、中世封建時代=東洋人・黄色人種、古代・原始人=黒人・アフリカ文化、といった偏見に東洋人として修正をうながす立場。

とはいえ、西洋の文学史をスタンダートとする西洋人に日文近現代文学を紹介するには、西洋の文学史を知った上で、そのフォーマットの上に、アメリカのフォークナーにあたるのが、日本で言うと中上で、みたいな紹介の仕方をせざるを得ないし、日本文学科の近現代を向こうのフォーマットに当てはめて例えようとしてもどうしてもズレてしまう部分を、日本の独自性として説明するしかないと思う。

3文芸誌の司会者(Ex丸谷才一・江藤淳)
文芸誌とは批評家の物だという言い方はあって、小説という商品を紹介する紹介者として、ゲスト小説家を招いての座談会の司会をし、小説を紹介する時評を書き、新人賞の選考をする。

>この価値の下落は何でなのでしょう……

じゃあ、価値が高かった時代はあるのか?となったときに、あると思うのは幻想だろうという気もしますが。菊池寛時代の文学界、乱歩時代の宝石など、小説家・批評家が自分の金で文芸誌を出していた時代があって(最近だと第三期批評空間とか)オーナー小説家やオーナー批評家と比べると、大企業が出している雑誌に雇われている文芸評論家は、その企業に勤める編集者よりも権限が弱い場合が多く、出版社として推していきたい小説・小説家を推す広告代理店・コピーライターとしての役割であり、どの小説・小説家を推すのか選択する余地がない場合も多い。また、出版社・編集者としても、なかなかいうことを聞いてくれない著名評論家にお願いするぐらいなら、自分達でやった方が早いという感覚も最近多いと思う。

4小説を紹介するエッセイ・コラムの書き手(Ex福田和也)
十代女の子向けのファッション雑誌でも、「文学に学ぶ恋愛術」みたいなコラム連載があって、そこそこ著名な人が書いていたりする。

松平さんが文芸評論家というとき、どの位置の何を指しているのかが見えないのですが、文芸誌の司会者などは、純文五誌あったとして、座れるイスが5つしかなく、一時代築いた人が十年座ったとしても、十年間に五人しかいらない。評論部門の新人賞が一つあって、二年に一人出れば十分な気もします。

>群像の新人賞評論部門の作品も、あれこれ読んでみている
>これ、ほんとに面白いの?と疑問を感じる

だからこそチャンスだと。ゴリゴリの学者は3・4の仕事はやりたがらないでしょうし、2・3・4の仕事は日文科近現代が役に立つと思います。
[ 2007/09/26 20:28 ] 木棚 [ 編集 ]
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