『ぼくらの』 


――『ぼくらの』は戦後文学の嫡子である!――

「『ぼくらの』は、「月刊IKKI」で2004年1月号から連載中の鬼頭莫宏の漫画作品。単行本は2007年7月現在7巻まで発刊中。また、この作品を原作とした2007年4月から放送中のテレビアニメ作品。」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

テレビアニメ版は2007年9月に終了した
漫画版の原作を描いている鬼頭莫宏
鬼頭は、ちょっと頭がおかしい人だろう
アニメ化されるというのは、びっくりだ
鬼頭が以前描いた作品「なるたる」もアニメ化されている
彼の作品が2作もアニメ化されている時代とは、病んでいる
という意見が「2ちゃんねる」に見られた
ぼくも同意する

『ぼくらの』の主題は、「戦争」と「死」と「共同体」の三つにあると見なせる
また、「新世紀エヴァンゲリオン」と高見広春「バトル・ロワイヤル」からの影響があるだろう
「エヴァ」と「バトル・ロワイヤル」があれば、『ぼくらの』はいらないかもしれない
オタク度が『ぼくらの』の方が高い
ただ、『ぼくらの』は焦点は、「エヴァ」と「バトル・ロワイヤル」よりも明晰な部分もありそうだ

ストーリー
基本は「ウルトラマン」系のもの
宇宙からやって来た怪獣を、ウルトラマンが倒すという
ただ、『ぼくらの』特有のいろいろ設定が背後にある

地球人は、ある種のゲームに巻き込まれる
『ぼくらの』の宇宙には、「地球」に当たる星が、パラレルワールドとして、無数にある
そして、その無数の「地球」同士の間で、殺し合いのゲームが行われる
ゲームはロボットに乗っての一対一の対決でなされる
「地球人」は、他の十四個の「地球」と闘わなければならない
そして、ロボットを動かした人物は、必ず死んでしまう
操縦者はゲームに勝っても負けてもロボットを動かしたことの代償として、死なざるをえない
また、負けた側のロボットを操っていた人物の所属する「地球」は滅んでしまう
一度決定されたロボットの操縦者は、変更することができない
「ぼくらの」の主人公達の属する地球では、中学一年生の少年少女たちがロボットに乗って戦うことになる

これらの設定は国家間での戦争の、メタファーとしてとらえることができる
フィクションでなければできない、思考実験が多く加えられている
「神風特別攻撃隊」のごとく、操縦者の死は予め決定されている
さらに、二次大戦時、おおくの若者が特攻で命を落としたごとく、子供に自爆死の役割が与えられるのである
これらは、どうやったら、子供を戦争に駆り立てることができるのかという課題ともつながりうる
「ぼくらの」の主人公達はすべて日本の子供である
守るべき共同体は、この日本にあるのか
他人の死と自己の死、選ぶべきものはどちらなのか
戦後文学的、ドストエフスキー的な思索が、現代日本社会の風俗を舞台に展開されている
若者向けの啓蒙に使うなら、『死霊』や『神聖喜劇』より使い勝手がいいかもしれない

とはいえ、漫画版もアニメ版も欠点は山ほどあるだろう
設定の置き方は魅力的なのだが、アニメ版も漫画版もそのアイディアを十二分に生かせていない
基本的な文芸の素養がないからだろう
フィクションの作り方としてどこがダメで、どこが糞なのか、指摘していくことも勉強になるかもしれない
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