デリダ『コーラ』 

コーラ―プラトンの場 (ポイエーシス叢書)コーラ―プラトンの場 (ポイエーシス叢書)
(2004/04)
ジャック デリダ

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プラトン『ティマイオス』における「コーラ」=「場」について論じているよう
「場」とは、「同一性」「二項対立」を逃れ去るものである
フェミニズム、建築とも関わるらしい
よく分からん
西田の「場」の論理とはなんか関係があるの?
「同一時間、同一空間には、二つのものが存在できない」とか

・たぶん、コーラとは「神」「最高存在」のことだろう
・あなたも、「女」であることをやめて「神」になれる。きっと

・『ティマイオス』の宇宙開闢説におけるロゴスの終りたるテロス
・ヘーゲルの論理学とアリストテレスの形而上学
・イデア的、叡智的なものと、感性的なものの間の深淵
・感性的でも叡智的でもない「母」という「場」
・ソフィストは固有の「場」を持たない
・プラトンはアリストテレス的な真面目さに対して、「戯れ」/「真面目なもの」という対立措定の同一の使用を成す
・コーラは、乳母でも母でも女でもなく、カップルを成さず、独自の個物である
・存在の二つの形式に対する、第三のジャンル

守中高明
・コーラは、延長のうちに位置付けることができず、存在者としての限定を欠く
p.103「コーラをめぐる記述を「教育的なメタファー」と見なす伝統を批判しつつ、それが告げている事態を字義通りに読み解くデリダによれば、「叡智的なもの」でもなく「感性的なもの」でもない「第三のジャンル」とプラトンが呼ぶものは、存在者の三つ目のジャンルではないし、存在の反対物=非存在でもない。また、この点が肝心だが、フィクションとして想定され、やがてしかるべき仕方でロゴスへと止揚されるべき神話素なのでもない。それは、それ自体としてのいかなる実質も欠いた何か、ロゴスの言説によってはただ「~でも~でもない」としか表現され得ないような非‐固有性そのものであり、したがってそれは、弁証法に対してある特異な関係を持っている」「いわばそれは対立措定の非‐対照的な外部を構成している」

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プラトン『国家』『パイドロス』
クリステヴァ『詩的言語の革命』
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