すが秀実『JUNKの逆襲』 

JUNKの逆襲JUNKの逆襲
(2003/12)
すが 秀実

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○アイディアの宝庫
瞬間的な跳躍力がすごい
モワモワしてる
おいしいところだけの、厳選素材をお取り寄せしました

○ジャーナリスティックな文芸評論が壊れてきている、という話があちこちに書かれている
「この地点で、こう壊れた」というふうな、論考が書かれているわけではない
どうも全体像が分からない
現在、2007年の段階で、以前存在していた「文芸評論」はすでになくなっているみたいだ
「文芸評論家」を名乗る人は、大学を中心に山ほどいるけれども
「純文学」が以前に比べて、ひどく売れなくなる
「純文学」を毎年、五大文芸誌は生産しているように見せているが、実は、それは虚偽である
大学・社会にいい顔をするためのブラフである
「純文学」も、「純文学」を研究・評論する人も、大衆性を喪失した
「文芸評論家」はとっくに絶滅しているのだ
ということが、実はあるよう
大学で「文芸評論家」として生きている人も、社会で通用しなくなっているジャンクなんだということ

しかし、すべての人が「文学」のなかを生きている
そう考えた方が自然じゃないか
東浩紀は「文芸評論家」ではなく、「批評家」を自称している
東の書くものなんて、大学では鼻で笑われるようなものだろう
しかし、彼以外に現在、文芸評論家はいないのだ
そのような視点を持ってみてもよいのでしょう

・こころのKは、乃木希典のことを指す
兵頭二十八「Kはキテン」(「発言者」九九年七月号)

・坂口安吾「意識と時間との関係」
意識されたもの(過去)は、常にすでに「意識する力」という現在に追いつけないので、「『意識の対象』を未来に託すことが出来ない」。無意識とは、亀という「今ここ」に永遠に到達できないアキレウスである。しかし現実的には、アキレウスは亀を追い越して「未来」にある。意識は無意識に追いつけないアキレウスである。
・「書きまくる」ことは「享楽」であり、死に追いつく無意識に似る

・探偵は「オリエンタリズム」のようなものであり、存在しない
・自然主義は象徴秩序にある
・探偵小説のごとき耽美的な世界における「謎」は、主客未分の想像界の復権である
→ポー、ラカン。江戸川乱歩『黒蜥蜴』(探偵=犯人という、鏡像的な自他未分関係)。笠井潔。谷崎、佐藤らの耽美派の初期作品。荷風の『あめりか物語』『ふらんす物語』
・探偵小説の前史は大逆事件にさかのぼれる
・大逆事件は「王殺し」である
・王は、「神の死」には勝てない
・ヘーゲル→君主は「然り」としか言えない
・王は「無」である
・「蒲団」、『月に吠える』の「殺人事件」は「探偵」的である
(⇒ 警察=探偵であるのが、『パトレイバー』や『甲殻機動隊』なんじゃないでしょうかね)

・湯地朝雄『戦後文学の出発』、大西巨人『精神の氷点』『二十一世紀前夜祭』

・柳美里『石に泳ぐ魚』
・高橋源一郎『日本文学盛衰史』は松浦寿輝『巴』以上のジャンク
・日本のカルスタは日共のヘゲモニー下にある(?)
・桶谷秀昭『続・昭和精神史』
・福田和也『保田輿重郎と昭和の御代』
・三浦雅士『青春の終焉』『私という現象』

・68年革命は60年代末期から文学史に影響を与えている
・68年革命は戦後民主主義を批判しているが、これと同じ事を江藤淳は行っている
・リベラリズムへの批判である
・ブルデュー『ホモ・アカデミクス』
・吉本隆明『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』
・芥川賞が世代論のバロメーターであったのは、「太陽の季節」から「限りなく透明に近いブルー」まで
・尾辻克彦(赤瀬川原平)「父が消えた」

・アンドレ・グリュックスマン『戦争論』

・ナンシー『無為の共同体』
・平野『昭和文学史』は保田的(?)
・金井美恵子『タマや』『噂の娘』
・川西『昭和文学史』は「転向」と「病」
・イ・ヨンスク『「国語」という思想』
・文化と文学は不倶戴天の敵同士→フーコー
・日本の文学的俗語革命は自由民権運動という内戦を収束させるべく国家の側から組織された国会開設と憲法発布に呼応して提起された「受動的革命」(グラムシ)である
・大室幹雄『月瀬幻影』
・中国では「王殺し」はしばしばおこったが、日本ではなされなかった
・「王殺し」は俗語革命によって可能になった
・大西巨人「俗情との結託」、筒井「無人警察」『文学部唯野教授』
・ソンタグ「隠喩としての病」→病名を差別的に用いるのは、二つのケースがある。一つは隠喩として用いる場合で、「癌」というレトリックがそう。もう一つは、その病気に対する無知と偏見が差別を呼ぶ場合である。病名を事実確認的に使うことは差別ではない
・『帝国』は親米の書である。九・一一以降のアメリカの戦争を、警察行為として肯定してしまう。「帝国」は68年のマルチチュードの革命に対する、「受動的(反)革命」として現出した

○少女
・「革命」が死語になったのち、「少女」がこれにとってかわった
・北村透谷、島崎藤村らにより「少女的なもの」は発見された
・高原英理『少女領域』、野上七生子『山梔』、矢川澄子『野上七生子というひと』、久世光彦『昭和幻燈館』
・自由民権運動の挫折が恋愛を発見し、そこから「少女」イメージが分枝した
・これが『蒲団』である
・蒲団のヒロインは、菅野すが子である
・少女とは天皇であり、性的な「もの」である
・吉本は、1945年に「天皇」を「少女」と呼びかえた

○江藤淳
・すが秀美『大衆教育批判序説』
・江藤は吉本より68年的である
・江藤は反米反ソの視点が、60年の時点で明確であった
・江藤は「反米」=「反戦後」の過激さがある
・大江、べ平連はこの点でぬるく、68年的でない
・江藤、68年革命の「戦後民主主義批判」は、ウォーラステインの「アフター・リベラリズム」を先取りしたものである
・リベラリズムは、国内的にも国外的にも、「遅れた」部分を維持しなければ存続できない。「大きな物語」が退行し「リベラリズム」が実現したのち、フェミニズム等の「小さな物語」が登場した

・リオタール『ポスト・モダンの条件』。68年革命をターニング・ポイントとして、啓蒙的理性に支えられた「大きな物語」が失効して、全体化されえぬさまざまな「小さな物語」が立ち騒ぐポストモダンの時代が到来した

○「ぼくは学生運動をやりたいという学生に対しては、「まず、教師と具体的に闘え」と言うことにしております。「何、下らないこと言ってるんですか」から始まってもいい」「教師などという存在は、学生にとって所詮は使い棄てられるべき「道具」以上のものではありえない」

本書屈指の名台詞
ぼくはこの言葉に依拠して動いた
しかし、大学院でやると、普通に破門されますね
同級生にも空気を読めよとか言われた

・現在の共産党は天皇制を肯定する。これは、68年革命に対する敗北である。ジジェク『為すところを知らざればなり』
・ジジェクを利用した天皇論、三島論、共産党論(→有効?)

・地域通貨は貨幣のフェティシズム性を破棄するものだが、享楽へと誘うフェティシズム性なくしては通貨足りえないのではないか

・カルスタ……植民地主義が悪い。民衆の文化や抵抗はすばらしいと言っていれば「正義」が確保できる。「真理」にかえて、「正義」を保有したとしても、そんな欺瞞は誰も信じていない。石田英敬、高橋哲哉、小森陽一は東大の三馬鹿

・岡田英広『世界史の誕生』。ジジェク『快楽の転移』……「アジアは存在しない」。フロイトによれば、「もの(フェティッシュ)」とは、母親における男根の不在と、子供の側からのその否認である。
・昭和天皇は、「敗戦の責任」を問われないことにより、人間であることを越えて神になった

・佐藤俊樹『不平等社会日本』
・ウェーバーからフーコーまでを忖度しても、労働のエートスは貧困のなかからしか出てこない
・労働に代わる「アクション」の創出。勤勉・禁欲に代わるエートスとしての「互酬性」の再建が説かれる。しかし、これはアッパーミドルクラスのメランコリックな反動に過ぎない
・互酬的共同体とも労働とも反対の、「享楽」への大衆的志向へと突き動かされている

・大学などが、「規律/訓練」型から、「監視/管理」型のものへと転換している
(→私には、自治会は、「規律/訓練」をなせるようなシステムには見えなかった。大学での授業崩壊も、かなりなていど、起こっている)
(→大学とは関係なく、労働の現場で「規律/訓練」がなされていないか?)

(・「おぞましいもの」はクリスティヴァの用語)
・今野裕一『ペヨトル興亡史』
・酒井隆史『自由論』
『昭和文学全集』。五十殿利治『大正期新興美術運動の研究』。ブルデュー『芸術の規則』
・「文学」とはそれ自体で政治的である(→法政では違うらしい?)
・批評の研究に対する優位は、80年代で終わっている
・フェミニズム研究者が文壇に登録されないのは、既存の正典化の動きに逆らっているためであり、文壇は内部へとフェミニストを入れないようにしている
・文壇における筒井の擁護は、政治的な闘争を放棄し、正典を守ろうとする「文学場」の意志である
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