「大討論 高橋源一郎×田中和生×東浩紀」2――大塚英志「不良債権としての文学」 

新潮 2008年 02月号 [雑誌]新潮 2008年 02月号 [雑誌]
(2008/01/07)
不明

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◎「新潮 2008年 02月号」「[大討論]高橋源一郎×田中和生×東浩紀「小説と評論の環境問題」」にて

東は「キャラクターズ」という小説に、『ゲーム的リアリズムの誕生』という批評を盛り込んで発表した
小説と批評、それらは分類の異なる別々のものなのではないか
なぜ、無理やりくっつけて一つの作品にしたのか
そのような質問に対し、それは単純に「経済問題」なのだと東は韜晦する

東「文芸誌のシステムにおいては、創作のほうが評論よりも優遇されている。「キャラクターズ」は二〇〇枚を一括で載せてもらえるけれど、もしこれが評論ならそれこそ分載で注目も浴びない。というわけで、『ゲーム的リアリズムの誕生』の主張を文芸誌の読者のみなさんに知ってもらうためには、小説版を書くほうがいいと考えた。」

高橋「小説のほうが評論より優遇されているというか、売れていることになっているのは確かですね。」

小説の方がたくさん書かせてもらえるから小説で発表しました、と
なんというフットワークの軽さだろう!
普通の評論家にはなかなかできるものではない
評論家は、口先だけでしょうがない奴らだ、お前らも小説を書いてみろ
という高橋の不平を、軽くいなしてしまった
これなら、高橋も文句を言えまい
評論家だが、小説風のものにチャレンジしてみた東である
一方、評論風のものにも手を出したがる高橋である

小説を書くのは自分の役割ではない、と文芸評論家の田中は述べた
そこで、場の空気が一定の方向に向かう

「新潮 2008年 02月号」の対談の最後は、高橋と東のみの会話となっている
高橋と東が結託しているようで、田中の声が聞こえなくなってしまった
しかし、この対談のそもそもの目的は何だったのか
高橋の発言、「小説のことは小説家にしかわからない」が最初の問題提起であった
これに対して、この号ではどのような評価となっているのか?

評論家も小説を書いた方がいい
小説を書くことで、小説がわかるようになる、という結論に陥りそうにはならないのか
しかし、この対談では、まだ話が終わっていない
また、次の号で、新たな展開があるのだろうけれども

高橋と東は何かを理解し合っているようにもみえる

高橋と東は、それぞれ、「文芸評論家」への警句を抱えているようである
文芸誌における「純文学」は、近年とみに売れなくなってきた
ただ、小説の場合、単行本化されたとき、ベストセラーになるチャンスがまったくのゼロではない
だが、「純文学」を批評の対象とした「文芸評論」は、小説以上に売れえない

東はラノベとケータイ小説への賛美をもって、文芸誌へと攻撃をしかける構えをみせている
これは、「純文学」のみに依拠した「文芸誌」がすでに破綻していることを確信しているからであろう
そして、高橋が文芸評論家不用説を唱えていたのも、同じ憂慮があったからだと考えることができる

この対談において、高橋は、東を必ずしも否定していない
ライトノベルについても、ちょっと自分にはよく分からない、といった程度の反応であった

◎そして、東や高橋の議論の前提として、大塚英志が書いた「不良債権としての『文学』」を見ておいても良いのだろう

笙野頼子との論争の過程で、大塚が「群像」2002年6月号発表した「不良債権としての『文学』」はWebでも読める

以下、要点をまとめておく

○大塚×笙野論争の過程での、大塚の意見

大塚「さて、笙野さんの「仮想敵」への主張は文学的素養のないぼくが必死に読みとった結果としては次の二点に集約されます。
 ・素人が文学にあらゆる意味で口を出すな。
 ・文学の基準として「売り上げ」を持ち出すな。」

○「文学」は、多くの人に読まれうるものとなっていない。一部の玄人のためだけに存在させられている

大塚「書物という商品の形式を資本主義下で採用しながら、しかし商品的淘汰によって素人と玄人の不和を、言わば市場経済に委ねることから「文学」は免責されています。その替わりに「賞」や「批評」や編集者や作家のひそひそ話といったものがその基準を作っています。「文壇」というやつです。つまり玄人自身が誰かが玄人であることを決める、という制度で落語とか能とかの昇進制度に近い形で「文学」は運営されています。」

○文芸誌は存続させることは出版社にとって無意味である

大塚「試みに『群像』を例に、この文芸誌がいかに経済的に成り立っていないかを試算してみましょう。」

「さて『群像』の本体価格(つまり消費税という国庫に納めるべきお金を差し引いた額)は通常で八七六円です。」

「もし『群像』が毎月一万部を売りかつそれが一年続けば七三五八万四〇〇〇円の売り上げになります。」

「まず、原稿料。『群像』から広告等を除いた頁を三〇〇頁とすると、四〇〇字詰めの原稿用紙で九七二枚の文章が掲載され、四〇〇字一枚当たりの原稿料の平均を五〇〇〇円とすると一号当たり四八六万円、年間で五八三二万円となります。」

「次に印刷代と紙代。これは算出方法によっても異なりますが、仮に一号につき三〇〇万円、年間で三六〇〇万円とします。」

「しかし一番大きいのは編集者達の人件費で、編集長以下四名いる『群像』編集部員の税込み年収は四人分合計で五〇〇〇万円前後と思われます。」

「以上までで収支を試算すると、一年間で『群像』は七〇七四万余円程の赤字です。」

「それでも連載作品がベストセラーになれば収支は合いますが、どうした理由からか「文学」では例外的に多くの読者を持つ大江健三郎氏や村上春樹氏は『群像』には殆ど登場しません。」

「ところで「文学」が昔から売れなかったわけではありません。戦前から戦後のある時期まで文学全集が馬鹿みたいに売れた時代がありました。その時の高収益体質は、細かく検証しませんが「文学」の既得権を形成した現在の高コスト体質に繋がっています。」

○出版界で売れているのは漫画だけであろう

大塚「まんがに替わる高収益商品を各社は血眼になって探していますが、例えばそれこそ夏目漱石を始めとする「文学」が数多く収録されている老舗の某文庫の年間売り上げが数年前の半分に落ちているように、「文庫」という「文芸出版」を支えてきた商品もとうに行き詰まっています。」

○コミケでは素人が漫画を売り、素人が漫画を買う場を素人たちがつくることで、新陳代謝を活性化させている。
これと同じことを文学でも行なうべきである

大塚「既存の流通システム、つまり版元―取次―書店」という「制度の外側に「市場」は作れないのでしょうか。」

「コミケ的なイベントに「文学」学ぶことがあるとすれば、それが既存の版元以外の場所から新人が世に出ることを可能にしたという点、是非はともかく「同人誌で食っていける」という状況を生んだ点です。」

◎こうして大塚は「文学フリマ」を立ち上げることになったわけであった
文芸誌から離れて文学を生産しようというチャレンジとしての「文学フリマ」は、その後うまくいっているのだろうか?

どうやったら、文芸誌を再興できるのか
東の言うとおり、ラノベやケータイ小説の存在も視野に入れつつ、文学史を書き換えることも必要なのかもしれない
こうしてみると、高橋と東は、窮地に陥っている文芸誌を盛り上げるべく問題提起をし、騒ぎまわっているものと評価することもできる
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