東浩紀『網状言論F改』 

網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ
(2003/01)
東 浩紀、斎藤 環 他

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――東のオタク論は、新種のマイノリティ運動であった――

◎オタク論の論者が集められていて、オタク入門をなす
東浩紀のWebでの活動が反映されてできた書
名編集

◎感想、本書を読んでいて思ったこと

人間はみな、性欲をどう解消するものだろうか?

人々の性欲の社会的形式を、仮に次のように分ける

Ⅰ 性欲の発現

A 複数の異性とセックスをする
B 単数のセックスパートナーを持つ
C セックスパートナーを持たない

d オナニーする慣習がない

オナニーをする慣習がある e オナニーの対象が非オタク的である
             f オナニーの対象がオタク的である

Ⅱ 上記における、男性、女性のそれぞれのケース

○おおざっぱにいって、男性における社会的な強者は、複数の異性とセックスする傾向がある、といえるだろうか
複数の異性とセックスする女性においては、このジャッジは曖昧である

一方、男性において、オナニストであり、かつ、オタクであるというのは、社会的劣位にあると、一義的にはいえるだろうか

オナニストでありかつオタクである
そういった人にとって、東の『動物化するポストモダン』とこの『網状言論F改』などは、福音の書であったことは想像に難くない

○小谷真理が本書で、「オタク」って「女」みたいだねと指摘しているのは興味深い

・A複数の異性とセックスする
というのは、社会的に、「理想的状態である」、といえるだろうか
少なくとも、私の実感する内面においては、複数の対象とセックスすることが自然である
それは、私のなかにある、超越的な一者が、個別のものへと分散して対象化されている、ということなのだろうか

e 非オタク的なオナニーをする
という場合、それは「理想的状況」の代補である、「偽」の環境であると、みなしうる

f オタク的なオナニーをする
ということに焦点を絞って、斉藤環は論を組んでいる
オタク的なオナニーは、80年代初頭以降、一定数の支持を集めた
「オタク」と「萌え」は日本のオリジナルの文化として、グローバルな市場を確立していて、日本の純文学よりはるかに勢いを持つ

東自身は、本書ではオナニーの問題を直接議論の前面にもってくることはなく、「萌え」と「セクシュアリティ」を切断していて、不思議な立ち位置にある
それでも、東の読者は、オタク的なオナニーをする男性が多いことは確かだろう

セクシュアリティを除外したうえでもって、ハイカルの言葉で権力的にオタクについて語るのは、ホモソーシャル的で反動だ
小谷真理が東をそのように激しく糾弾するのは納得できる

『動物化するポストモダン』をはじめて読んだときは、なんだこれは、ギャグなのか? という混乱を感じざるをえなかった
しかし、オタク論に道を切り開いた東の仕事は卓見だったとは思う

A 複数の異性とセックスする――宮台派
f オナニーの対象がオタク的である――東派
とを仮に分けるとする

統計的には、A 複数の異性とセックスする B 単数の異性とセックスする d オナニーしない e 非オタク的なオナニーをする f オタク的なオナニーをする これらのそれぞれは、どんなふうに数値化されるのか、気になるところではある

f オタク的なオナニーをする層というのは、A複数の異性とセックスする層に比べて、「女」的なものとして日本の文化史に登場してきた
オタクがオタクの定義で紛糾し、「オタクとは私のことである」という地点にたどりつくであろうことは予想できる
このとき、東のオタク論も、ある種の、「マイノリティ運動」であったとみなせよう
そして、この「マイノリティ運動」はWebと親和性があり、「マイノリティ運動」のなかで、もっとも活発化し、成功したものであろう

A複数の異性とセックスする行為は、純文学において主題的なものであった
「オタク的なもの」は、これと対称的な位置にある
純文学においては、「複数の異性とのセックス」が、「作家」に「体験」としてあり、これが「文学」作品に反映される、という構造になっている
つまり、作家主義が前提となり、作家における経験が、真理として存在し、これを反映した仮象の異性が小説に存在している、ということになる

一方、オタク文芸においては、作家が複数の異性とセックスしているかいないかは無視される
「萌え絵」のようなオタク的なフェティッシュの対象において事情は異なる
「複数の異性」は、「3次元の異性」とは無関係に、2次元の世界に存在させられている
アイテムの組み合わせにより異性が形成される
それが東の言うところの「作家」に対する「キャラクター」の先行ということなのだろう
2次元の異性は、3次元の異性の「代補」というより、それ自体が「異性」として成立してしまっている
しかし、「妄想の異性」を作り出すこの所作は、笙野頼子などからすれば、批判の対象となるのだろう
オタクの側からすれば、人のオナニーを笑うな、みたいな話なのだろうか
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