永井均『これがニーチェだ』 

これがニーチェだ これがニーチェだ
永井 均 (1998/05)
講談社
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永井均『これがニーチェだ』を読んだ。
勝つことを求めること。
「在る」ことが全てだと考えること。
「貴族的価値評価」

負けていてもいいや。
あの世では幸せになれるさ。
真理は私が握っているもの。
弱者の思想。
「僧侶的価値評価」

「僧侶的価値評価」として、キリスト教、プラトン、形而上学の伝統が連なっている。
そして、「貴族的価値評価」と「僧侶的価値評価」の双方を批判するのがニーチェだ。
といえるのだろうか。



しかし、「私」はどうなのか。
ニーチェを読む、日本にいるこの「私」はどうなのか。
キリスト教がなく形而上学の伝統も持たない日本で、ニーチェ的な批判はがっちりと大地を踏みしめた効果を、持ちうるものなのか?

永井均の『これがニーチェだ』は、あまりアカデミックな雰囲気を持つ書ではない。
永井の私論も入っていそうである。
しかし、Web上のレビューでも、好評価が目立つ。
専門家でない一般の人で、読んでみて面白かったという意見が聞かれ、ある程度のアクチュアリティーを持ちえていそうである。
ちょっと不思議だ。
キリスト教と形而上学が重みをもたない日本であれば、ニーチェの思想も上滑りしそうなものではないか。
ここで、永井が格闘している相手は何なのか。
本書におけるキリスト教と形而上学は、別のものの暗喩になってはいないか。
たとえば、永井は、大江健三郎の戦後民主主義的な身振りを糾弾する。
また、『ツアラストゥラはかく語りき』の身体障害者差別を、真っ向から取り上げる。
これらの部分では、左翼的な人権思想を、永井はニーチェに仮託して、批判しているように見える。
ひょっとしたら、人間は人間を、殺しちゃってもいいのじゃないの。
そんなささやきかけを内に含んでいる。
ニーチェがキリスト教を批判する身振りでもって、永井は現代日本の人権思想を批判するわけだ。
永井の論で行われている道徳的・学問的手続きが成功しているかどうかは、精細に判断すべきであろう。
ニーチェの時代のキリスト教と、現代日本の人権思想の比較も、本来、細かく見ていくべき点があるだろう。
それでも、本書は、すべての共同体から離れ、神を持たず、一人きりで独立して存在することは人間にとって可能なのかという問題を提起している点で、刺激的なことは確かだ。
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