21世紀のマルクス主義 

○2008年3月27日(木)、ネグリに関する某様の読書会に参加させていただきました

批評家五名様に、有名ブロガーその他の方にお目にかかれて、ぼくの人生において、かつてまれに見る豪華な会合でした

寒空のなか、公園で行ないました
私はガタガタと震えました
あるいは、この寒さは文芸評論家界に吹いている逆風を象徴している、という感じがしてなお良かったです
最弱であるがゆえに最強であるのが、文芸評論だ、という某様のお話が心を打ちました

○ところで、東は、現代社会を、「コミュニティの層」と「アーキテクチャの層」の二層構造で説明しています

東浩紀『文学環境論集 東浩紀コレクションL essays』

それはこういう図で表されます

「主体の(内面の)自由
多様な価値観の共存
コミュニタリアン
多様化主義
規律訓練型権力の作動域
市場の論理が支配
コミュニティの層

          複数のコミュニティ、相互無関連化・島宇宙
         ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
――――――――――――――――――――――――――――
                 ↓
          単一のアーキテクチャ、都市・交通(モノとヒトの流通システム)                     市場(財の流通システム)
                     コード(情報の流通システム)

身体の管理
価値観中立なインフラ
リバタリアン
メタユートピア
環境管理型権力の作動域
セキュリティの理論が支配
アーキテクチャの層」

ここで重要となるのは、東は、ネグリの『帝国』を読み、そして、柄谷行人への批判の意図を持ちながら、上記の立論をしていることです

たとえば、一つには、ミクシィだとか、SNSのシステムがアーキテクチャの層にはあるわけですね
そして、その上に、複数のコミュニティがのっかっているわけです

さらに、このアーキテクチャは、「帝国」であるともみなせると、東は主張しています
その場合、複数のコミュニティとは、それぞれの国民国家にあたるそうです

コミュニティの層は、規律訓練型権力の作動域であることも注意しておきたいです

○次に、ネグリの「マルチチュード」について考えてみたいです

藤田直哉さんが、「マルチチュード」とは2ちゃんねらーではないかとの意見を出されています
マルチチュード=2ちゃんねらー説を検討する

興味深い立論です

ただ、「2ちゃんねらー」を「2ちゃんねらー」とくくること自体に、表象の暴力がつきまとうということもあるでしょう

また、ネグリにおいては、「マルチチュード」は、特定のコミュニティの属性を持たないものではないかとも思います

2ちゃんねらーにおける「倫理」が、どう形成されうるかということがらも、問題として生じうることでしょう

○2ちゃんねらーと規律・訓練

そもそも、マルクス主義においては、「コミュニティの層」に属する人員を、「規律・訓練」せねばならないことが、いろいろな困難を生んだわけですね
ディシプリンをしなければ、運動家を組織することが不可能なわけです

「スターリン的独裁」への批判というのが、構造主義思想とのからみで、盛んに喧伝されました

フーコーの権力批判や、ドゥルーズにおける「戦争機械」、2期デリダの「否定神学批判」もその絡みで登場してきたわけでしょう

そこで、ネグリのマルチチュードは、「規律・訓練」を必要としているものなのかどうなのかが気になるところです
「規律・訓練」なしに「帝国」の層への、「抵抗」を唱える、ということがあるのでしょうか

それは、オプティミスティックなアジテーションに近いものなのでしょうか
「規律・訓練」のなされることのないフリーダムさが2ちゃんねらーの魅力ですが、その存在は、もろ刃の刃でもありましょう

2ちゃんねる等、Webコミュニテイの環境管理をいかになすか

2ちゃんねるというものを、国際的な観点からみたとき、どのように位置づけられるか
等、分析・検討せねばならないでしょう

○今後のマルクス主義はどのような方向に進むのか

A 従来のマルクス主義……運動家の「規律・訓練」を必要とする……柄谷の「NAM」にもこの要素が含まれた。柄谷の「NAM」は具体性が高い分、失敗したときの反動がデカかった。たとえば、「籤引き制」等により、否定神学的になることを、柄谷は回避しようとしていた。しかし、総体として、「NAM」は、柄谷と柄谷信者からなる小規模セクトにとどまった。この柄谷の「NAM」の弱点をもっともきちんととらえて、苛烈に批判したのは、鎌田哲哉などではなく、むしろ東浩紀である。東の「否定神学」批判とは、柄谷批判として読むべきである

B 構造主義系の流れを入れつつ、マルクス主義についてあれこれいう現代思想系の立論がある。デリダ、フーコー、ドゥルーズの流れをくむ思想家たちである……運動家の「規律・訓練」はあきらめつつ、アジテーションとしての革命をうたう。具体性に欠けるところあり? インテリの景気づけにとどまらないか……?

C 東のやり方……「コミュニティの層」でのマルクス主義的活動は否定神学であるとし、これを批判する。「アーキテクチャの層」を操ることにより、「平等」を構築できるようなシステムを模索している。実質的内容が進展されることを期待する

これらのうちのどれを選ぶのかということで、立場の差も出てくるのでしょう
そう考えさせられた読書会でした
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