新文学は敗北しない 

『新文学』について仲俣暁生さんに言及をいただいた

・仲俣暁生「雑誌と批評について」(海難記)
http://d.hatena.ne.jp/solar/20081109

少し引用させていただく

「『新文学』のほうは、雑誌名は信じられないほどひどいし、インタビューや対談も多いのだが、雑誌というインターフェイスをさまざまな形で機能させようとする工夫を感じる。とくに後半のパートの、松平耕一の「ライトテロルの新文学」という文章がいいと思った。ことに「ゼロ年代ほど、学生運動がさかんだった時期はない」というくだり。なるほど、サブカルチャーとかオタクという言葉ではなく、この世代の一連の批評家やそのフォロワーがやっていることは文化的な「学生運動」だと考えたほうがわかりやすいし、学生に影響を与えている主要な批評家の位置付けも、私も知らない、かつての「学生運動」の時代によく似ているのかもしれない。

私はいまの若い人が好んで参入しているサブカルチャーにはほとんど興味がないし、それらだけがベンヤミンのいう「歴史がそこに集中しているひとつの焦点ともいうべき」ものでも、「きわめて危険視され、排斥され、あるいは嘲笑される作品や思想として、つねに現在の底ふかく埋もれている」ものでもないと思うが、しかし同時に、そこにまったく可能性がないと言い切る気もない。」

私は仲俣さんの出版論に以前から注目していた
尊敬する仲俣さんに取り上げていただいたことは光栄である
ちなみに、「『新文学』のほうは、雑誌名は信じられないほどひどい」ともご指摘をいただいている
思い出してみると、これについてはフラグがあった
以前、法政大学の学生サークルが、仲俣暁生さんと田中和生さんを招いてイベントを行った
私は観客としてこの場に赴いた
高橋源一郎の文芸評論家不要論への、田中による反論などが話題になっていた
質疑応答のパートで、私は、ゼロアカ道場の同人誌競作に参加していることを自己紹介した
そして、売れる雑誌を作るためにはどのような工夫が必要なのかとお二人にご相談した
このとき仲俣さんに、「雑誌のタイトルと表紙は気をつけた方がいい」というお答えをいただいたのであった
このやりとりは、「海遊制作委員会」発行の同人誌『界遊』に収められている

・「界遊001 創刊号  発売中」(「界遊」ブログ)
http://d.hatena.ne.jp/inamo-dereda/20101231

確かに、「新文学」とは、いささか大仰なタイトルではある
反省点はどんなところにあったのか
仲俣さんにこの件について、もう少しお伺いしてみたいところではある

さて、東さんの今年の活躍は目覚しい
早稲田文学主催『文芸批評と小説あるいはメディアの現在から未来をめぐって』「10時間連続シンポジウム」では、前田塁が、世代とジャンルを超えた著名な文芸評論家を一堂に会させた
このシンポで東浩紀は司会を務め、一騎当千の論客ぶりを見せた
三田文学、江古田文学、法政文芸より早稲田文学が優れているとは常々思っていたが、早稲田文学の、文芸五誌をも超えた企画力を印象付けた
東・前田コンビが、文壇制覇を成し遂げたのではないかとすら思わせられた
早稲田シンポとゼロアカ文フリ対決
二つに代表される東浩紀の獅子奮迅の戦いは、ゼロ年代の文学のあり方を決定付けていた

東は、同人誌対決を、ブログなど、Webでの道場生の動きまで含めて審査すると述べていた
そのため競争はヒートアップし、関係者たちの好奇の目を集めた
Webを利用してのサスペンシブルな駆け引きがなされ、文芸系のものとして異例なゲームとなった

東さんは試験の合否を決める立場である
選ぶ側も選ばれる側も、お互い、顔の見える仲での戦いである

極めて画期的な企画であったが、主催者側において多くの誤算が生じていたようだ
編集者が作家との関係を維持しつつ、成長に導くことは、難しくも重要なことである
この同人誌対決は、編集者と作家の関係、出版社と作家の契約のあり方に混乱をもたらす可能性を持っていた
編集者の仕事を、アマチュアがいきなり行おうとすることでの、トラブルも生じえただろう

また、ネットの一部では東さんをバッシングする言説も観察された
たとえば、ゼロアカ道場門下生の、筑井真奈さんと文尾実洋さんが出したクレームにも注意しておきたい

・門下生が道場主に物申す(形而上学女郎館)
http://d.hatena.ne.jp/metaphysical_jyoroukan/20081105/1225916717

・「東浩紀のゼロアカ道場」第四回関門 結果報告 (沸騰空穂葛日記)
http://d.hatena.ne.jp/boilednepenthes/20081112

この件については東さんも精神的にくるところがあった模様である
東さんのブログのエントリを読んでいても、外的状況や道場生との関係の変化に影響を受け動揺するさまが見てとれる

試験では選択と排除がなされる
落とすものと落とされるものが分けられねばならない
筑井さんと文尾さんが東さんに抗議を寄せたことは注意に値する

東さんは飲み会などにも積極的に参加し、道場生とも懇意にしている
しかし、その集団に女性が溶け込むには、多少の敷居もあることだろう
東さんがフェアでないという云々の以前に、ここには、男性共同体と、女性との間の懸隔を見出せる
たとえば、築井さんの作った雑誌『チョコレートテロリスト』は、峰尾俊彦さんと村上裕一さんの雑誌『最終批評神話』に、同人誌対決の順位で敗れた
築井さんは敗因について、ustでの放送で次のような言及をしていた
『最終批評神話』は、非モテの非モテによる非モテのための雑誌である
それゆえに、2ちゃんねるやブログ論壇などに多くいる、オタクたちのファンを強く惹きつけることが可能であったのだと
『最終批評神話』はニコニコ動画と美少女ゲームの紹介をメインにした雑誌である
オタク業界の最先端の題材を取り上げていた
批評の領域を広げるべく行ってきた東さんの仕事を延長させ拡張させる役割を果たしうる
若いオタク男性たちに吸引力のある題材であった
しかし、女性が、「非モテの非モテによる非モテのための雑誌」と位置づけたことには、納得のいくところでもある

また、文尾さんは、以前から、批評に興味がないという旨の主張をしていた
東さんはこの点を減点の対象としたとブログで述べている
私は以前、文尾さんに、インタビューをさせていただいている
このときも、文尾さんはその種の違和を表明されていた

・文尾実洋インタビュー――腐女子化するポストモダン(文芸空間)
http://literaryspace.blog101.fc2.com/blog-entry-375.html

文尾さんには批評への不信感がある
それは、批評が常に男の言語で書かれてきていることと、関わりがあるだあろう
学問は、ロゴスによって、男によって築かれてきた
批評言語というもののしっくりこなさ
身に合わないということ
男性言語で積み重ねられてきた文系学術の歴史への、違和というものはありうることだ

たとえば、腐女子のコミュニティはWebでの検索に引っかかりにくく、プロテクトが幾重にもかけられている
腐女子は、男性のオタクを超えるほどの人数がいるとも言われるが、その文化は人目に触れにくい
男のオタクと腐女子の差異はどこにあるのか
男のオタクはあけっぴろげだ
腐女子の文化は、男のオタク以上に、公的な場から疎外され、歴史から秘されている

おそらく、築井さん文尾さんは、正統なる東さんの弟子たちと異なり、東さんへの転移をなしえない
彼女ら自身が、東さんに匹敵する社会的ポジションにつきえないものなのか、考えてしまうところではある
そのためには、「社会にとって女とは何か」という問題を脱構築する、大きな手術が必要だろう

さて、「ゼロアカ道場」は批評家養成の塾であった
もともと、小中高における「国語」の授業が、何を教えるものなのかは、怪しいものである
テストに合格するか不合格になるかは、先生に従順であるか否かで決まる
もちろん、大学受験はそれなりに役立つ経験となる
しかし、大学院の論文審査、教員試験、文芸誌の新人賞、芸能界のオーディションなどのテストは、その審査基準が何なのか、しばしば謎に包まれている
審査の過程は表に出ない
合否の判定の理由が不明であり、どうにもうさんくさい
ゼロアカ道場における情報開示は、それらに比して、はるかに風通しが良かった
なにしろWebという場において、生徒の側で先生に反論する機会が与えられている
このことは思想的な冒険であり蛮勇だった
セクシュアリティについて、法について、脱構築について、否定神学について、無意識について、教育について、理性について、転移について、Webにおける「ライトテロル」とでも呼びうる現象について
様々な検討課題を、このイベントの過程でおきた諸事件に読み出しうる

東さん、太田さんや講談社の側でも、この同人誌対決には疲弊を感じることが大きかったかもしれない
それでも、たとえ彼らがこの企画を後悔し反省したとしても、間違いなくゼロ年代の文芸史における、大きな事件であったことにかわりはない

文学とは敗北者に寄り添ってある
生に勝利しているものに文学は不要である
『新文学』は同人誌対決に敗北した
この敗北を受け止め反省しつつ、次の挑戦へと向かいたい
文学は常に敗北とともにある
大田克史は、ゼロアカ道場に、16歳の男の子の人生に、カーブを切らせるような批評家を求めていると述べていた
ゼロアカ道場企画が成功した暁には、「16歳からの動物化」とでも呼ばれうる批評書が書かれて欲しい
それは社会へのアイロニーとして、文化の豊饒をもたらすために有益なことだ
私は「16歳からのライトテロル」を著し、真っ向これを迎え撃つつもりである
敗北と勝利の脱構築が文学である
ゆえに、新文学は敗北しない
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