西田亮介氏インタビューと「Web文芸評論家」 

・「コミュニティ観察とクリエイティビティ ――西田亮介さんロングインタビュー」『荻上式BLOG』
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20090301

荻上チキさんによる西田亮介氏インタビューについて、三ツ野陽介さんが次のような文章を書いている。

・三ツ野陽介「まだ世に出てねえし評論家じゃねえし」『青空研究室』
http://d.hatena.ne.jp/ymitsuno/20090304

「荻上チキさんのサイトに載っている西田亮介さんのインタビューで、西田さんは以下のようにゼロアカを揶揄しています。

ゼロアカ道場から出てきた人たちって、肩書として「評論家」とか名乗ってる人がたくさんいますけど、別に単著だしてるわけでもそれで食べてるわけでもないし、「え、評論家とか名乗っちゃうの?」みたいな驚きはありますね。僕も『SYNODOS』に書かせてもらって、『思想地図』に書かせてもらって、他にもいくつか商業系の媒体でも仕事したことがありますけど、恥ずかしくて「評論家」とか言わないですよね。

 しかし、これは事実に反する。ゼロアカで肩書きとして評論家とか名乗っているのは、藤田直哉さんだけであり、一人しかいない状態を「たくさんいる」とは言わない。」

三ツ野さんによる「ゼロアカ生において評論家を名乗っているのは誰だ問題」への指摘はおおむね正しいのかもしれない。しかし、三ツ野さんの言も、まだ事実に反している。「ゼロアカで肩書きとして評論家とか名乗っているのは、藤田直哉さんだけ」ではなく、私、松平は「Web文芸評論家」を名乗っている。初出は『東浩紀のゼロアカ道場 伝説の「文学フリマ」決戦』であり、2009年3月2日発行であるため、誰も気づいていないのは無理もないけれども。

私の造語であるところの「Web文芸評論家」には、二つの意味がある。第一に、「Web」「文芸評論家」。Webでの文芸評論を主になす書き手ということだ。文芸評論の中枢は、すでに紙媒体からWeb上に移動したと私は考えている。
第二に、「Web文芸」「評論家」。「Web文芸」もまた、私の考案した言葉である。現在、Webにおいて開花した多くの人たちの書きなすテクスト群を、一つの新しい文芸としてとらえる必要が生じている。「Web文芸」は、日本文芸史の伝統との比較で、その特徴が分析され、評論されなければならない。私の考えるところ、これからは「Web文芸評論家」全盛の時代になる。

また、西田氏は「単著もない癖に」ということも語っているが、この点についても、敵を別の場所に見出すべきである。第一に、三流私大では単著を持たない教員が多い。さらに、単著があっても、実体としては、数百部を持ち出しの形式で、自費出版で出して、学術業績があるかのように見せているだけというパターンもある。それらの教員にくらべれば、「Web文芸評論家」のほうが、人の目の見える場で活動しているぶんはるかにマシだ。出版とWebの公共性への力学は、すでに反転を起こしている。まあ、「単著もない癖に」という意見に譲歩して、私も自費出版で本を出して「単著がある」と言い張ろうかしら。

また、西田氏は以下のようにも語っている。

「西田:こういう媒体、つまり学会なんかの論文ではなくて――一万部っていうのが多いか少ないかというのはそれはそれで議論は分かれるポイントだけれども――、学会誌を読んでいる人口よりは多い人口にアピールできる媒体で書くということがきまったときに、僕はとにかく分かりやすい文章を書こうと思いました。なぜなら、繰り返しになりますがそれが評論家や批評家ではなく、研究者を目指す僕が商業媒体に書くことの意義だと思うからです。そこからつなげて言えば、読んだ人にはもっとネタ的なコミュニケーションを展開してほしかった。もちろんklov君たちの筑波批評のustとかはありますが、でももっと欲しい。disとかでもいい。「地域について間違った理解をしている」とか「こういうプロジェクトのほうが効率的だ」とか。『思想地図』に書くということは、そういうある種のコミュニケーションの素材を提供することだと思っていたんです。」

これについては思い出すことがある。筑波批評のustで『思想地図2』を扱ったとき、私も偶然それを見ていた。そして、西田氏の論文について、NAMの「地域通貨論」のパクリみたいなものをいまさらやってということで、disったような記憶がある。理論的かつ明晰な文章であり、西田氏はたしかに頭がいいと思う。しかし、資本主義へのアンチテーゼとしてみると「ビーチマネー」はだいぶんショボく、ネタにしようがない。『思想地図2』のなかでも西田氏の論文はやや異様であって、それ自体は悪くはないし、上記引用部の西田氏の発言も、批評を活発化させようという善意からなされているのも分かる。しかし、紙媒体におけるゼロ年代の批評とは、90年代になされた批評の成果の下に、それらしいルポルタージュをでっちあげて行うしかないものだったのだろうかとも感じた。
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