Webに適した文章と、単行本に適した文章 

私は、「Webリテラシー」について語った。
また、私は、「Web文芸誌」の必要性を訴えた。
これらのことに対し、疑念をお寄せいただいた。

「侍魂」というサイトは、一日に何百万もアクセスがあるということで話題になった。
それで、とある出版社は、管理人に声をかけた。
君、イケてるね、単行本を出そうよと。
しかし、管理人は長い文章が書けず、挫折したという。

以上はぼくが他人から聞いた話である。

これらのことを鑑みるに、webのテキストサイトで成功する能力と、出版業界が要請する能力は異なるのではないか?

とのことである。

反論する。


なるほど、「侍魂」というこのサイト。
文字の大きさの、めりはりの付け方。
行間の空け方。
色の使い方。
それぞれが、Web上で見やすいよう工夫されている。

話の盛り上げ方、雰囲気の出し方がうまく、読者を笑いに誘う。
「Webリテラシー」とでもいったものに、大変優れている。

一方で、主題の選び方に私は疑問を感じる。
品性がない。
外国人に薦められるようなサイトではとうていない。
日本人が、日本人同士で笑いあう場だ。
Webという場ではマニアックな表現が可能である。
「侍魂」はニッチな需要をうまく拾い上げている。
日本人の、心の隙間を突いている。

しかし、こんなのが有名サイトなのかと思うと、同じ日本人として恥ずかしい。
海外からの目を意識した文章を書いていないのだ。
Webとは、狭い共同体を超え、世界各国とつながりうる場である。
「侍魂」の管理人と観客は、オナニーをしているだけだ。
その点で、Webリテラシーを欠いている。

「Web文芸」は、国際性への可能性を探りたい。

石川淳は、文学者とは皆アナキストであるといっていた。
個の追求。
それが文学における表現の中心でなされるとしたら、たしかにそういえる。
文学者はみんな、アナキスト。
理想的だ。

しかし、大丈夫だろうか。
私は、日本文学を読むとき、やましい気持ちを抱くことがある。

日本文学も、既存の文芸誌も、ナショナリズムに貢献してしまっているものではないか。
日本文学には、ナショナリスティックな言葉の美があるのではないか。
日本文学の心地よさには、望郷の心情が含まれていはしないか。

ここは、ちゃんと論証するのは面倒くさい話ではある。

むしろ、日本文学より漫画やアニメの方が国際性がありそうだ。
特定の国の特定の言語は、その地方特有のローカルなものだ。
絵や画像の方が国境を越えても、理解しやすいだろう。

ぼくはクラシックな日本語の美を否定するものではない。
ぼくは日本が好きだ。

しかし、「Web文芸」は、日本文学を、世界的な文学として展開させる方向を目指したいのである。

全部英語で書くべき、ということを言いたいわけではない。
言葉には、心が宿る。
たとえば、方言にはその方言特有の、「心」が表われるかもしれない。

ぼくが言いたいのは、内容の点である。
外国人から見ても、優れていると感じられるものこそが、いい文学作品だ。
翻訳されたときでも、意味が明瞭に伝わる文章を書くべきだ。
外国人が読んだとしても、価値の認められる文芸であるべきだ。
それが「Webリテラシー」である。
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