『蒲団』と後藤明生『小説―いかに読み、いかに書くか』 

小説―いかに読み、いかに書くか 小説―いかに読み、いかに書くか
後藤 明生 (2000)
講談社
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田山花袋の『蒲団』を読む。

という会を今度開く。
どんなものをサブテキストにするか?
後藤明生の『小説―いかに読み、いかに書くか』など、一つ、おすすめなのかもしれない。




『蒲団』論としては中村光夫の「風俗小説論」(一九五〇)が有名。
中村は、「風俗小説論」で、島崎藤村の『破戒』と田山の『蒲団』のうち、日本の自然主義が『蒲団』の方向へと偏重して向かったことを残念がる。
『蒲団』は西洋のキリスト教における「告白」の文学を誤読したうえで書かれたものだ。
キリスト教のない日本というこの地で、ヘンテコな形で、「告白」めいた文学を生み、それが「私小説」の起源となったのだ。

そのように、中村は、私小説および、田山の『蒲団』を批判する。
もちろん、中村の「風俗小説論」は、単純なシロモノではなく、面倒で難解なところのある書だ。
なので、そんな簡単な話でもないのだが。

後藤は『小説―いかに読み、いかに書くか』に収められた「「事実」かフィクションか――田山花袋『蒲団』」で、中村に対して『蒲団』擁護をしている。
数十ページほどの小文ながら、なかなか面白い。

『蒲団』は頑張ってるよ、面白いよ。
フィクショナルな工夫を盛り込み、あれこれしかけを作っているよ。
小説を書くに当たって、勉強になるよ。
と主張している。

蒲団は単なる事実の「告白」ではない。
主人公とヒロインに対する、ライバルの若者をフィクショナルにつくっているようだ。
「三角関係」の小説となしている。
虚構として成立している。

ヒロインとライバルの若者は新世代のものである。
主人公は旧世代のものである。
新世代のもの達が旧世代の主人公を振り回す。
という構成になっていて、新旧世代の断絶を一つのテーマとしている。

「自然」の描写が心理の流れとともに本文に上手に入り込み、効果を上げている。

田山は主人公を滑稽化し、道化にしている。
単なる告白ではなく、第三者の視点も内部に含まれていて、話を面白くするための工夫として、ちゃんと機能している。

などなどといった諸点を指摘。
小説を書く上で、参考になるとし、『蒲団』を褒めている。

へえそうか。
なるほど、気付かなかったけれども、そう言われてみりゃそうかもと、ちょっと説得される。
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