アガンベン『開かれ―人間と動物』 

開かれ―人間と動物 開かれ―人間と動物
ジョルジョ アガンベン (2004/07)
平凡社
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二十一世紀の世界は、アメリカ風になるか、日本風になるか、どちらかなのだという説を、どこかで聞いた。
アメリカ的な動物化か。
あるいは日本化か。
つまり、形式的な価値に基づく、スノビズムの美の世界か。

その説がどういうものなのかは良く知らない。
テキトーに考察する。



 
アメリカ的に「動物化する」といったとき、その「動物化」とはなんじゃらほい。
褒め言葉ではなさそうだな……。
「動物」ってなんじゃ。
人間と動物の違いって何だろう。
動物には言語がない。
動物は「死」を想像しないだろう。
動物は、社会や文化を原則的に持たないだろう。
動物的であるということは、「神」をもたず、「神」を解さないことであろう。
ミドリムシは、光の方向に走る。
ミドリムシが光へと向かって走るのは、どうして。
自由意志ではなさそうだ。
脊髄反射か。
動物化する、といわれたとき、まあ、そんなイメージが思い浮かぶ。

「動物化」と並び称される、日本の「スノビズム」。
日本文化の特徴とは、どういう内容なのだろう……?
神はいない。
美とみえと和合といった価値観により、ハラキリなんかも行う。
階級は階級として、固定され、不平等は存続する。
それでも、「人間」でありつづける。
それが、日本的であるということなのかな?

二十一世紀の世界は、アメリカ風になるか、日本風になるか、どちらかなのだという説。

わあい。
アメリカは動物だが、日本は人間なのだね。
そして、世界は、アメリカ的な動物化か。
日本的な人間か。
どちらかになっていくのだね。
そう喜んでもよいのだろうか。

いや、どうなの。
ちょっと、嫌な予感がする。
日本にとっては、むしろ、不名誉な話が含まれていそう。

日本を正確に捉えた上での論なのか。
今後、人間が、自由意志で行なうことは、何か残されていないのか。

アメリカ、日本、ヨーロッパ。
この三つしか、文化の形態って、ないものなのだろうか。
もっと他にも、異なる価値があるかもしれないし。
さて。
 
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