鈴木道彦『越境の時―一九六〇年代と在日』 

越境の時―一九六〇年代と在日
越境の時―一九六〇年代と在日

『失われた時を求めて』の訳者鈴木道彦が、1960年代から70年代にかけて関わった、在日の人権運動についての回顧録。

最近読んだ集英社新書の、Webを扱った本はひどかった。
大丈夫か集英社新書と、そのとき思った。
でもでも、本書はとても良心的。
いい仕事をするなと思った。
もっとも、良心的で倫理的な書ほど売れないのではないかと心配するところではあるけれども。
 



 
在日の人権運動は、以前から自分の周囲で少しだけ見聞きする。
想起するものがある。

去年、おととしと、在日文学の研究者とはしばしば顔をあわせた。
その際、ぼくは、いくらか、在日文学研究への皮肉を言った。

マイノリティと文学。
二つを並べてみたとき。
双方ともに重い主題である。
マイノリティ運動の運動家と、正面きって対話するのは、大変。
倫理というものが、常に問われる。
ギクリとさせられる演説が続く。
マイノリティと文学。
二者間の関係を論じることは難しい。

ぼくにとって文学は大切なものである。
マイノリティ文学には、半ばは興味がある。
少なくとも、楽しんで読めるかどうかは捨象したとして。
研究の対象としうるかどうかという観点で考えたとき、横目でチラチラ眺めておきたい。
マイノリティ文学。
文学は、倫理というものと交錯する。

文学の主題。
「だから見て、私を見て」
そういう言葉と重なるところがいつもある。
同情できるか。
共感できるか。
気にかかると思えるか。

何かしら、これを読んで意味がある、と思える根拠の有無は重要。

ただ、マイノリティ文学の研究を行なうなら、マルクスなりカントなりも読まないと、ちょっとまずいのじゃないのかなという直観もある。
マルクスやカントなんて、ぼくにはとうてい理解できないので、変なことはいえないけれども。
 
まあ、面白い文学が好きだな。
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