東浩紀『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』(2) 

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

本書の帯には、「否定神学システムを超えて複数的な超越論性へ」とあった。
「否定神学」と「複数」という言葉は、論中で繰り返し出てくる重要なキーワードなよう。

キリスト教の「神」は「単数」なわけだね。

ラカンは否定神学であり、だめさ。
あれは否定神学であり、だめさ。
これも否定神学であり、だめさ。

そういう話がしばしば出てくる。
でも、これ、本当に「否定神学」という語を使う必要があったのかな。
「否定神学」の「神」の語が気になる。
「神」の語についての解説がなされていないし。
 


 
それに、『存在論的、郵便的』というタイトル。
「存在論」とは何か。
ハイデガー以降の「存在論」しか、論の対象にされていないようであるのはいかがなものか。
デリダって、ヘーゲルとは関係ないのだっけ。
ギリシャ以来の存在論の歴史を、おさえないで論じちゃっていいのかな。

『存在論的、郵便的』というタイトル。
郵便における、「誤配」。
「誤配」が、哲学者同士の間で生じているのだと書かれている。
行方不明になった郵便こそ注目すべきポイントである。
それは、「幽霊」のようなものだと。

「幽霊」。
スティルネルでも、「幽霊」という言葉はしょっちゅう登場している。
スティルネルの「幽霊」は、ヘーゲルにおける「精神」と、同じ言葉らしい。
これを読み替えて皮肉にしたものだって聞いた。

単一の神か、複数の幽霊か。
それが、『存在論的、郵便的』の一つの主題にはなっているはず。
しかし、東は、どうも、「神学」とか「複数」とかについて、無造作に扱っているように見える。
本来、神に対し、複数の幽霊を対置する、というのは、いくらか、政治的なニオイのするアイディアだ。
でも、東は、主体というものがどう構成されているのか。
論理的な真というものを純粋に探究しているよう。

また、本書には、「アリストテレス」の「幽霊」の例が出てきて、これもちょっと気になった。
「幽霊」が出るのは百歩譲っていいとして。
なんで「アリストテレス」の「幽霊」なんだろう。
埴谷の『死霊』にも、「アリストテレス」の「幽霊」、という例が出ている。
「アリストテレス」は、「幽霊」の比喩として利用したくなるような、何らかの誘惑があるのだろうか。

本書の後半の、第三章、第四章は、勉強になるところが多くあった。
デリダ、フロイト、ハイデガーの関係を、こんなに簡単に図式化しちゃっていいのかなとハラハラしつつも、たいへん感銘を受ける。
  
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