デリダ『精神について―ハイデッガーと問い』 

精神について―ハイデッガーと問い 精神について―ハイデッガーと問い
ジャック・デリダ、港道 隆 他 (1990/05)
人文書院
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このブログの東浩紀『存在論的郵便的』(2)で、話題にしましたが、本書を読むと、デリダの「幽霊」という言葉はやはり、ヘーゲルとの関わりが大きいみたいですね。
デリダはどんなふうに「幽霊」という言葉を使っているのか。
『精神について―ハイデッガーと問い』では、たとえば次のよう。
 


 
p.65

『総長就任講演』においては、〔精神化の二重戦略という〕この危険はただ冒されているだけではない。講演のプログラムが悪魔的に見えるとすれば、それは、そこに偶然的なものが何もないにもかかわらず(傍点)、そのプログラムが最悪のものを、すなわち同時に二つの悪を資本に組み入れているからだ――ナチズムへの支持と、いぜんとして形而上学的な身振りと。この曖昧さは引用符の狡智、ひとが決して適切な尺度を手にすることのない引用符の狡智(常にそれは多すぎるか少なすぎるかだ)の背後で、Geistによって取り憑かれていることにも由来する。言いかえれば一つのespritが、ドイツ語でもフランス語でも、ある幽霊(ルビ・ファントム)がいつも不意をついて、もう一方の者の腹話術を演じに帰って来るのだ。形而上学は常に帰って来る〔revient〕。私はこれを亡霊〔revenant〕の意味で聞き理解している。そしてGeistは、この帰来〔revenance〕の最も避け難い形象である。単一なもの〔le simple〕から決して切り離すことのできない分身〔le double〕。
 ハイデッガーがついに避ける(vermeiden)ことの決してできぬもの、避けえぬものそのもの、それは精神のこの分身、GeistのGeistとしてのGeist、常に自らの分身を伴って来るesprit〔精神〕のesprit〔亡霊〕としてのesprit〔精神=亡霊〕ではないのか? 精神は自らの分身である。



ヘーゲルにおける「精神」という言葉は、歴史観と関わり、内在化されていた世界精神が外化されて歴史を構築していくとか、何とか、そういう話なのでしょう。
『精神現象学』と『歴史哲学講義』などですね。
そして、このヘーゲルにおける「精神」は、汎神論的な思想であるとか、ドイツ中心的な思想であるとか見なされることもあり、さらには、マルクス『共産党宣言』の歴史観であるとか、そういった問題へと派生していきうると。
一方、ハイデガーは、「精神」という言葉を、基本的に退け、引用符に入れて、括弧つきにして慎重に扱っていた。
でも、ドイツにおいてナチの勢力が強くなったのち、『総長就任講演』や『形而上学入門』では、「精神」が文中に入ってくるようになる、とデリダはいう。
そのことを批判しているのが、デリダ『精神について―ハイデッガーと問い』の一つのテーマらしいです。

上の文。
「一つのespritが、ドイツ語でもフランス語でも、ある幽霊(ルビ・ファントム)がいつも不意をついて、もう一方の者の腹話術を演じに帰って来るのだ。形而上学は常に帰って来る」
1「精神(esprit)」を「幽霊(ファントム)」と読み替えていること。
2「幽霊」を擬人的に表していること。
3「幽霊」と「形而上学」という言葉は同位相にあり、これらは批判すべき対象として扱われていること。
などを、チェックしておきたい。

また、「引用符の狡智」とある。
これも、ヘーゲルの「理性の狡知」へのイヤミなのでしょう。
最初は引用符をつけて「精神」を扱っていたのに、やがて引用符をなくしてしまうのは、「理性の狡知」ならぬ「引用符の狡智」であると。
ブラックユーモアですね……。

「ハイデッガーがついに避ける(vermeiden)ことの決してできぬもの、避けえぬものそのもの、それは精神のこの分身、GeistのGeistとしてのGeist、常に自らの分身を伴って来るesprit〔精神〕のesprit〔亡霊〕としてのesprit〔精神=亡霊〕ではないのか? 精神は自らの分身である。」
ここの部分など、すごい文章を書くなーという感じですね。
ここでのGeistなりespritなりは、避けるべきもの、しかしハイデッガーにとって避けられぬもの、として扱われている。
スティルネルのヘーゲル批判と、やり方がちょっと似ている気がする。

この部分だけ見ると、
1ヘーゲルの歴史観と「精神」は明瞭にダメだ
2それに引きずられるハイデガーもややダメだ
といったような主張があるよう。
また、「幽霊」はヘーゲルの「精神」のことを指し、ここでは、批判すべき対象として、出てきているみたい。
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精神について ジャック・デリダ  本書のテーマは精神〔geist〕です。しかし翻訳(不)可能性の問題について指摘しているように思うんです。デリダは言葉の問題に関してものすごい敏感な人です。例えば『郵便葉書』に描かれているような問題、そしてそこから決定不可
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